比較解剖学からみたヒトの特徴〜ヒトの機能の意味を探る〜
解剖学はカラダの地図だと思います。そして、その解剖学は医学の基礎であり、理学療法でも運動指導でも、羅針盤として必要不可欠なものです。
しかし、その解剖学ではその事象を把握することはできても、その事象の存在意義や役割までは導き出しません。
例えば、大腿骨の前捻角が20度前後という構造は把握できても、なぜ20度前後なのか、その意味が何なのかまでは示してくれないのです。
例えば運動指導やリハビリテーションを担う上で、「正しい姿勢」や「正しい歩き方」など、「正常」という名の「正しさ」を定める必要がありますがしかし、解剖学はその答えを持ち合わせていません。
僕も、臨床12年目くらいの時にだいぶ悩みました。理学療法に関係する分野の予防医学をもっと世の中の当たり前にしようと、自分の使命を悟った時です。
予防の考え方では、「異常とは正常からの逸脱」と考えます。では「正常とは何か」という問に当然至ります。しかし、解剖学にはその答えはなかったのです。事実の提示でしか、、、。
運動学もありますが、それも現象の寄せ集めであり、例えば百人集めた平均を提示されても、それが正常である保証はどこにもないのです。
腰痛は多くの方が体験する国民病ですが、では、100名集めて筋力などのデータを取ったとしましょう。その方々は腰痛がないとします。そして腰痛の方100名と比べて、正常ではこうだったが、腰痛群ではこうだったという考察をするとします。でもその正常群の中から腰痛の人が出てくるわけですから、その方々を正常とする根拠は何でしょうか?その研究の翌日に腰痛になる人も含まれているわけです。
生まれつき腰痛と腰痛でない人が決まっているわけではないので、今正常と言っている人が正常である保証はないのです。
比較のない研究はもっと怪しくなります。
正常歩行を検討するために、100名の障害のない成人を対象として歩行データをとったとします。では、その100名が正常であるという根拠は何でしょうか?正常とは自己申告ですよね。でも、膝が痛くなる人が事前に自分は異常歩行をしていると認識している人はどれくらいいるのでしょうか?
正常だと思っている人を正常としていいのでしょうか?多くの研究では、多数は正常であるという前提があるように思います。もしかすると正常の方がマイノリティである可能性もあるのに、、、その検証はせずに。自己申告という曖昧なもので正常を決めていいのでしょうか?
運動指導の現場では、正常の人の方が少ないという印象を受けています。多くの方は内股ですし、脚長差は多いし、まともに歩けている人は稀です、、、。こういう臨床の感覚からすると研究の正常という前提が甚だ怪しいと言わざるを得ないのです。
そうすると、一般の人を対象として調べられた研究は正常としては当てになりません。10年ほど前にこの事実に気づいた時、途方に暮れました。では何を根拠に正常を見つければいいのか、、、と。
その時に、出会ったのが今回のテーマである「比較解剖学」なのです。
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