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【ヨガ日記】身体的な苦痛と精神的な苦痛

苦痛」というものはそもそもどこが感じているのでしょうか。
「脳」です。

「苦痛を感じる」というのは、「苦痛を認知している」といってもいいかもしれません。

感覚器は、主に外界からの刺激を感知して脳に伝えます。
例えば音は、鼓膜や槌骨、砧骨、鐙骨で増幅され蝸牛で感知されて脳に伝えられます。
そして脳は特に側頭葉でその刺激を言葉や鳴き声、雑音など、何から発せられた音なのかを認知しています。
認知とは、選択であり、伝わっている音全てを判断しているわけではありません。
聞こえている音の中から特に聞きたいものにフォーカスを当てて認知しています。

騒々しいカフェの中で、自分の話している相手の言葉だけを選んで聞くことができるのはそのためです。

つまり、刺激を選んで認知しているということです。

では痛みはどうでしょうか?

痛みを発する部位は様々です。
温度覚も触覚も限度を越えれば全て痛みになります。
痛みは基本的に自由神経終末による感知です。
そして、音と同じように脳に伝えられています。
繊維の太さによって鈍痛や鋭痛、内臓痛などの変化があります。

痛みは複雑で、実際の外部からの刺激がなくても脳の中で記憶と結びついて痛みを認知してしまうメカニズムもあると言われています。

こうなると、身体的に、物理的に感じている痛みよりも脳内での認知の方が主導権を握っているように思えますね。

また、修行僧の達観した状態に「心頭滅却すれば火もまた涼し」というものがあります。

「火渡りの行」なんていうのはまさにそれですが、燃えている日の上を歩いても、極度の集中状態だと熱さを忘れるというのです。

これは、実は科学的にも実証されています。

また、経験的にも必死で気が動転している時には、感覚器からの情報にいちいち反応している暇はありませんので、ぶつけたことすら気づかないで逃げたとか、そういう経験はあると思います。

必死の時には痛くないのに、後から痛くなるというやつです。

痛みについては、精神的な不調があると増幅されることがわかっています。

また、身体的な障害を持っていて、痛そうだと周りから見えていても、健康な精神状態の人は、まるで気にしないということもわかっています。

こうやってみてくると、身体的な痛みよりも精神的な痛みの方が問題としては大きそうですね。

高齢の方で、背中は曲がり、膝も曲がり、いかにも痛そうだという姿勢の方でも、毎日畑に出て若い人以上に仕事をしている方もいます。

そういう方を見るにつけて、強い心こそ人は鍛えなければいけないのだなと思うのです。

ちなみに、ヨガの実践は、体を健康にするという以上に心を健康にするメソッドです。

ある報告では、病気を持っている方々にヨガを指導したところ、病気の状態は変わらないのに、健康的になったという結果が出ています。

つまり、体ではなく心が健康になったのです。

体に障害や問題を持っている方にとって、病気が治らなければ健康には一生なれないというのは非情ですよね。

ヨガには、心から人を健康的にする力を持っているのです。
ヨガで身体的な部分に注目することも間違いではありませんし、体が柔らかくなるとか強くなるということも重要です。
でも、最も重要な部分は、健康的な心を作ることだと僕は思います。

そのためには、快適に実践し、心身を開放しながら、ネガティブなマインドを手放していく能力を身につけることですね。
ヨガがそんな風に、多くの方の力になれるのであれば嬉しいですね。

アーサナアナトミカルアプローチでは、解剖学や運動学に基づきながら、古典的なヨガの教えを分かりやすく効率的に実践するための知識や実践法をお伝えしています。
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