TAKRAM RADIO|Vol.184 「学びの成長痛」との向き合い方
Introduction
J-WAVEのTAKRAM RADIO。株式会社学びデザイン代表取締役の荒木博行さんをゲストに迎えた、第2週目のPodcastのメモ。
Podcastで公開されたフル尺の会話により、荒木さんの以下のツイートへの納得がさらに深まった。後半の畳みかける展開が、非常に刺激的。
「下手の楽しみ方」からの思考のジャンプは、ゲストに和田夏美さんを迎えた、超相対性理論の 「人はいかにして主人公になれるのか」回の延長戦を聴いているような感覚でもあった。
メモ
学びの庭の設計図
渡邉:3年ぶりのラジオスタジオ
荒木:康太郎力。知に対する真摯な態度。
渡邉:諦めが悪い。荒木さんを困らせてないかを心配する。
渡邉:事前に練ってきた考えと、その場で推し進める両面があるところがかっこいいと思う。
荒木:会話の中で創発的に芽生えるものをどう見つけるか、が面白い。
渡邉:『続・ゆっくり、いそげ』を思い出す。カフェを通して、逆三角形で末広がりに拡散して根付く姿を目指す。人に仕事をつける。学びを手放した先の学び、のイメージに近いのでは。
荒木:設計主義ではない。建築ではなく庭である、というメタファー。創発的で開かれている。
人によって異なる成長の計り方
渡邉:成長痛とどのように向き合えばいいのか。Takramメンバーとのエピソード。優れている人を見た時に遠慮してしまうのでは、という問いに対して、サウンドデザイナーの人は、ヘコむことはあるが、自分が聴いていると超絶技巧の人には興味が湧かず、特徴がある人に惹かれるという。
渡邉:うまさ以外のものさしに注目しているという気づき。独自性や個性の発露。個人の違った成長の先にあるものにむしろ魅力を感じるのでは。
荒木:自分が何を求めているのかを感じる力が大事。感じる努力をしないと、容易にヒエラルキーの順序に囚われてしまう。下の人に対する見方も歪む。ドラゴンボールのスカウターをつけた状態。
渡邉:WBC日本代表の山本投手のピッチングフォームが変わった。足を上げない外れ値となったが、結果、成績がよくなった。勇気を持って平均から外れていい、という赦しになる。新しいシナリオと前向きな未来が起こりうる事例である。
組織の穴を埋める能力のネットワーク化
荒木:『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』の連想。
荒木:伊藤亜紗さんによる若年性アルツハイマーの方のコラムの記載。自分ができないことも、組織の記憶に頼る、と言う。能力もネットワーク化できる、また、穴があることで組織にダイナミズムが生まれる。
渡邉:穴を埋めると人間関係が駆動する。全員が弱みを開示しながら支え合えると強い。
下手を楽しむことによる成長
渡邉:ゴルフの成績が伸びない人がいた。しかし下手なりに考え続けて練習を続けることで、野球部出身の勘がいい人より成長した。課題の解像度が、下手な時期に育まれるのでは。
荒木:下手なタイミングの楽しみ方が、遊びにつながる。小学生のドッジボールは、みんなで楽しむことに知恵を使い、ルールを作り変える。
渡邉:うーーーん。
荒木:目標のみを追い続けると、楽しめなくなることがある。時として、逸脱を認める重要性もある。
目標へのギャップを下げる
渡邉:これは、何が起こっているのか? 一人で放り出す時との違いは?
渡邉:もちろん人数、目指すものは違う。2mmの学びを。ドッジボールの考え方を、個人レベルや仕事の場面に持ち込めるのか。
荒木:つまらなくなるのは、理想とのギャップが大きくつなげられないと思うこと。正攻法として、理想を下げることがある。
渡邉:同じレベルの人と切磋琢磨する?
荒木:切磋琢磨するという言葉自体を放棄する。下手さを楽しむ。上手くなることだけが善、という価値観を手放す。
渡邉:ただし、上手くもなりたい。
新たな解釈や意味づけの価値
渡邉:上手くなった先に何をするか。何のためにギターを弾いているのか? 成長を目指さなくてもよい気がする。
渡邉:谷川嘉浩さんと、ランチで長話をした。『生きのびるためのデザイン』の著者のビクター・パパネックは、計画して物事を進めようとする限り、その人はデザイナーである、という。引き出しの中の文房具の整理、抜歯など。
渡邉:デザインに携わる人が「これもデザインだ」という第1ステップを越えると、共通言語・共通知・コモンズが生じる。新たな解釈によって会話が面白くなり、他の行為と重ねたり自己肯定感が上がったりすることで、デザインの意味が実る。
渡邉:ここで、解釈の重要性に想いを馳せる。人が挑戦している時、傍観者やデザイナーとして解釈することが求められるのでは。みんなが言い合う世の中のほうが、互いに成長が捗るのでは。
荒木:意味づけの価値。成長しなくても、自分で意味づけしたり、他者に意味を認めてもらうだけで幸福なのでは。
荒木:デザイナーと非デザイナーがいるとき、抽象化すると共通のデザイン行為が見いだせる。異分野でも、抽象化することで本質を指摘すると、救いと受け取られる。
荒木:我々は意味の世界で生きる。成長は物理的に見えやすいことによって上下が決まりやすいが、意味の世界は抽象度が高く、別軸である。
異分野と対話する重要性
渡邉:シェーンベルクの不協和音の演奏に、カンディンスキーが感動した。ピアノから絵画へ、媒体を跨ぐ。カンディンスキーは、絵画のスカウターを壊した。
渡邉:異分野から異質な影響を受けると、楽しくなるのでは。
荒木:同分野では、上下のヒエラルキーから抜けづらい。抽象化することで一直線の成長から脱却できる。
渡邉:社会彫刻はデザインやアートの裾野を広げる一方で、山を高くすることには寄与していないと思っていた。ただし、共通言語ができると山がつながり、デザイナーがギタリストの山を高めることがある。ジャンルを跨ぐと、軸が変わる。異分野と混ざることでもはやジャンル自体が更新され、裾が広がるだけでなく、標高が高くなることが稀に起こる。
荒木:前提として、ギタリストとしての努力もある。その中で、壁にぶつかったときの振る舞いが大事。意味を問いかえすことが大事であり、その意味は異分野に転がっている。
渡邉:あさっての方向からのインスピレーションはつねづね意識しているが、自分の問題意識の具体例とつながった瞬間に、身体的に腑に落ちる感覚が宿った。
荒木:自分の中の分人とのフィードバックのループも広げたほうがいいと反省を感じた。
渡邉:ブルーノ・ムナーリの本で、ミケランジェロなど過去の芸術家を召喚して議論させることを連想。
荒木:自己完結しないことがポイント。本当に自家発電できれば、幸福ジェネレーターになれる。
リスナーへの「問い」
荒木:対話を通じて、ドッジボールの光景など、想定しない扉が開く瞬間があった。
渡邉:ルールメイクは、社会にも適用できるメタファーである。
荒木:「成長を手放したあとの思わぬ成長は?」