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新しい関係人口の創出拠点!関係人口のど真ん中に暮らす覚悟|信州まつもとうらまち シェアハウスうら町base#07

松本裏町、大して田舎でもなく都会でもない信州まつもとうらまち シェアハウスうら町base管理人のやまぐちなおとです。

春が始まったなって思ったらいきなり夏日みたいに気温が暑くなって、と思ったらまた寒いねって日々がやってきて、三寒四温だなんてよく言ったもんだなと思いながらも、ぼくはそんなことも感じれないほどに忙しさにかまけてこの家のことを何もできていないんじゃなかと思ってきた。

けれどありがたいことにうら町baseのことをどこかで知ってくれている人たちが、住みたいと声をかけてくれたり、見てみたいと内見に来てくれたりしてなんとかこうにか二年目のうら町baseが継続できている。

これから誰かが住む家になって
だれかが訪れる家になって
お好み焼きをジュージュー焼いて
小さなコミュニティが出来上がって
「今夜は涼しいね、」なんて
缶ビール片手に夏の庭に足を放り投げながら
だれかがそんなこと言うんです

こんな風にいつも起こる毎日の出来事を
誰かとシェアする暮らし

二年目の外肉焼きも盛況だ

この家を始めてからというもの、ひたすらに人を集め続けては人が来続ける、何度この円卓で人とご飯を共にしたかというくらいにご飯を食べている。

そんな我が家の二年目だ。何をしようかなんてまだ何も想像しかできていないのだけど、去年は人を集めることにだけ集中してきたが今年に関してはもう少し密度の濃い時間も必要だなと思っている。


この家の在り方を考えた時に何が見える?

一体この家がどんな意図を持って生まれてきたのか。
そんなこと散々言ってきているのだから今更なんなのと思うだろうけど、この家は「暮らし」という機能と、「行きつけの家」というふたつの機能を持って生まれてきました。

ここには日々誰かが暮らしていて、ここには日々人が訪れる。

暮らす側も訪れる側も、いつも自分の立場を見ながら生活していくのだ。
「誰かの暮らしの中に私はいる、誰かの行きつけの家に私は暮らしている」お互いがお互いのことを許容し合い、寄り添うことで生まれる人間関係というやつに、ぼくは何かを期待しているんだろうね。

でもね、そこで何も生まれなかったとしても、何も思ったりしないだろう。

けど。
ぼくの起こした小さく髪を撫でるだけの風は、人の力を借りながら少しずつ大きく、より大きく、台風のように強くみるみるうちに周りの環境や情報を吸い込みながら大きくなっているようにも見えた。

うら町baseを起点に人と人が出会い、巡り合う。
その中にはたくさんの感情や言葉が渦を巻いて、人間関係ってやつを構築していく。

たくさんの時間をかけて構成されるときには、うら町baseで出会うだけじゃない何かに変わって、それはただの友達でしかなくてそうやって誰かの家に行くことで「大人になってからも友達が増えた」っていいことなんじゃないのってぼくは思うよ。

でもこれは決して最初に決めていたわけじゃなくて、コンセプトも中身も、全部全部この家にやってくる人たちの感性が継ぎ足しされて作られたものだと思っている。

この家に住んだ人、出ていった人、内見に来た人、遊びきた人、行きたいと思っている人、そういう人たちが全部いてこの家の秩序と法は守られている。
そして何より、こんな家があったからと思う誰かがいて、この家が何年先もあればいいのにと思ってくれる誰かがいて、この「うら町base」は成り立っています。


そして知るんです。
うら町baseは決して「やまぐちなおと」が一人で立ち上げたわけでもなく、一人で何もかもを企画してきたわけでもなく、誰かの力を借りまくって育ってきているんですって。

季節をめぐる準備を、一緒にしてみようか

暑くなれば扇風機を出すように、晴れれば布団を干すように、お腹が空いたらご飯を食べるように、僕たちはいつも誰かの感性と一緒に季節を超える準備をする。

春になればモノクロだった世界に色が芽吹いて、夏には緑は深く空は青くなり、秋になればたちまち寒さと同時に寒色から暖色へ色を変わっていき、冬には色がなくなる。

そうやって当たり前にある色の変化や気候、気温の変動を誰かと共にするんだ。
「今日はいい天気だね、布団でも干そうか」って誰かが言ったら、今日この人は気分がいいのかもしれないとぼくは思ってしまうし、雨で落ち込む姿を見る時もあるのかもしれない。

暑くてたまらない夜に、ビールを一緒に飲む時だってあるだろう。
寒くて仕方ない夜に、暖房で温めた部屋で同じ鍋をつつくこともあるだろう。

人と乗り越えることで何かが変わる季節って人生にはきっといくつかはあって、僕らはね、一人でもできなくないけどみんなで超えたらいいじゃんって選択した人たちの集まりだということ。

肉だって外で焼くし、花火だってするし
秋刀魚だって焼くし、鍋だってする。

餅も焼くし、恵方巻きも巻くし、そうめんだって流してきた。
年越しの日だって一緒だったんだ。


人間らしく生きる誰かと一緒に、生きていたいだけなんだ。

日々人が訪れては、人に会い続けるこの家がとる選択はいつも人といることを口実に、楽しいことを共有しようという感覚。

そして、これは管理人であるぼくが勝手に思っているだけなのかもしれないが、人が来る家に住むことで「人間らしく生きることができる」気がしている。

ぼくにも一人暮らしの時期はあったわけで、それなりに生きてきたと思っているけれど、もっとだめな部分はあったしもっと適当だった。

でも今この家で過ごしてきて、人がこんなにも来る家ならば床は綺麗でありたいし、髪の毛なんかはあまり落ちていないで欲しいと思うし、汚い部分は見せないで生きていたいと思う。
そうすると、自然と掃除は身について、綺麗にすることを習慣にして、日々の生活の中に掃除というものは組み込まれていくことになる。


そしてこの家に集まる人たちがいるおかげで始まることもあれば、終わっていくこともある。この家をきっかけに何かが始まっていたりもある。

そういうものを全部ひっくるめて関係人口の創出拠点となれるのならそれがいいじゃないなんて思うのです。

ぼくはね、ただただここで生きていたいと思うだけなんです。
人間らしくさせてくれる誰かとここで生きていたいと思うんです。


新しい関係人口がはじまる場所で、あなたも狂ったようにここに居てみればいい


2024年六月以降の新住人を募集しています!
詳しくは下記のHP、もしくはInstagramページよりお問い合わせください。


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