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カメラの仕事もらうためにしてきたこと=コレってマーケティングだよね|手と仕事#21

フリーランスフォトグラファーとして活動してまだ2年と少し。
そんなぼくが、どうしてお腹が空かずに生きていけるのか。
あの頃にはわからなかったことがわかってきたので、少しだけ長くなるだろうけど書いてみよう。

仕事を見つけるのってどうやるの?

そもそもだ。
そもそもフリーランスにいきなりなって、さぁ仕事だ!というわけにはいかない。
何事も順序ってのがあって、カメラマンになったはいいけれどどこから仕事をもらうのか?

個人でやる人にとってこれが1番の難関なんだろうなと思うし、1番苦労するところなのかもしれないと思う。

たとえばスタジオカメラマンから独立すれば、そこのクライアントからもらえるものもあるかもしれないけれど、ぼくみたいにどこかに所属してたわけでもない人がいきなり仕事を始めれるのか。ってそれは無理な話なんだ。


それでも今のぼくはなんとか仕事をいただいている。

カメラマンとして始まった時のぼくには何もなかったのにだ。

そんなぼくが仕事絵を獲得していく中で最重要視したのは「今」のぼくが撮れる写真って一体何?ってこと。
写真撮影といえば卒業式や結婚式、七五三やお宮参りといったように「ハレの日」を残すことが基本だと思っていた当時のぼくはその圧倒的な母数の競争社会の中にいきなり飛び込んでいったのだ。

でもやってみればぼくよりもうまく撮る人は何十人もいて、ぼくよりも好きで撮っている人も何十人といたこの世界は、ぼくにとっては生きにくい世界なんだと知ったのは「子供が嫌いなくせに好かれてしまう」という点。

圧倒的にお子さんを撮ることが多く、まずはご機嫌取りから始まる。
いい笑顔をしてくれることを願って現場に行くも、普段から着慣れない衣装にお子さんは不機嫌だ。
そりゃそうだろう、僕だって嫌だ。

けどそれをなだめるご両親も少しばかり疲れていて、ぼくたちのようなカメラマンがお子さんのご機嫌をとって撮影が始まって気づいたら子供達は周りをうろうろして膝や腰を掴んで離さない、そうやって手に入れる報酬は多くはないだろう。個人のお宅から取れる依頼金なんてものは上限はなくともなんとなく相場ってものが決まっているのだから。

こんなふうに撮影を1ヶ月の間で十件、二十件とこなして初めてそれなりの収入が入って来月を生き延びる。

けれどぼくは今実はハレの日と呼ばれる撮影をしていない、一件もだ。
たまに知り合いから頼まれてすることはあるけれど、それも一年に二回あるかどうかであとは全く違う撮影で稼いでいる。

それが商品撮影であったり、イベント撮影であったり、演劇や芸術の舞台撮影が基本で、その他の撮影も依頼されている。

ぼくがどうやって今いるこの場所にいることになったのかは、「やらない」を決めたことからだった。

圧倒的に依頼母数の多い「ハレの日」
家庭の数だけ様々なハレの日が存在して、それに対応するカメラマンの数ももちろん多くて、ビジネス的にいうと「ハレの日」はレッドオーシャン でぼくのいる商業写真の世界は東京ではそれは無理かもしれないけれど、長野県では限りなくブルーオーシャンの世界で生きやすく、価格競争の激しさの中にいる必要もない

しかしだ、価格競争に巻き込まれたくなくてハレの日を撮らなくなったわけじゃなくて、本当は自信がなくなってぼくよりも綺麗にうまくお客様の希望に寄り添える人がもっといるだろう、ぼくじゃなくてもいい、って諦めたことから始まった。

じゃあどうすればいい。

自分で個人店を経営している人がいるように、カフェは飲食、ホテル、クラフト作家など様々な方のインスタを見て思ったのは暗くて、静かな雰囲気の写真を好んで使っていることや、自分でも「手と仕事」を撮ってみて暗い方が自分の感性に合っているんだと気づいたことからこれだ。って

こんなふうに陰影をしっかり出して、線をしっかり出して、物事の本質に迫っていくような「手と仕事」の写真は思っていたよりもいろんな方の心に残ることができたようで、そこから商品写真の依頼をいただいたり、作家さんの作品を撮らせていただいたりした。
そしてぼくの住む松本市では有名なクラフトフェアが行われていて、そのオフィシャルカメラマンになることが決まってと、少しづつではあるけれど「やらない」を決めた途端にぼくの進むべき道は見えて、迷わずに進めば進むほどにどんどん遠くまで走って今の場所に辿り着いた。

カメラを持っているからといって人を必ず撮らないとけないわけもなく、これをしないといけないってこともない。

だから子供を取るのがうまい人には撮って貰えばいい
イベントを撮るのが向いている人には撮って貰えばいい
自分が撮れる土俵で、自分の戦い方をすればいいんじゃないかな。

やらないを決めたら、やることが決まって
やらないの時間で、違うことに時間が使えるのだから

ぼくはそうやって生きてきたよ。

美味しいご飯に使わせていただきます