司馬遼太郎と明石家さんまの時代に生まれて良かった(2/2)

人の幸せとは、人生どれだけ笑って過ごしたかという尺度があると思います。日々、笑って過ごせたら、幸せなことだと思います。

私は小さい頃からTVのお笑い番組が好きでした。でも、声を出して笑うことはほとんどありませんでした。

それでも、いくつか思い出に残るお笑いタレントさんがいます。

Wケンジ、初代林家三平、コント55号、そして明石家さんま。

Wケンジは、小学生の頃にTVを見てゲラゲラ笑っていた記憶があります。
初代林家三平はTVで満員の会場のお客さんを爆笑させていました。それがとてもすごいことと思ってみていました。

コント55号はコントも動きも新鮮でとても面白かったです。

後に、萩本欽一さんが一人でいろいろな番組で高視聴率をとっていましたが、その頃は爆笑した記憶がありません。コント55号の2人のコントは面白かったですね。笑いころげました。

さんまさんは下品な笑いがなくて家族で見ていても安心して笑えます。
ひな壇の人達との会話を通していろいろな笑いで楽しませてくれます。それも何年も長きに渡って。

私は50歳代の10年間、1ヶ月以上滞在の海外出張が多かったのですが、出張地はTVが無く、インターネット環境も悪くて動画などは見れませんでした。

休日は娯楽もなく、帰国する頃には心が乾ききっていました。

ある時から、さんまさんのTV番組を録画して持ち込むことにしました。出張中は何度も見て心を癒すことができました。

心が乾ききってしまうと、海外での仕事にも影響してくると思います。さんまさんの番組の笑いに助けられました。

人によって笑いのツボが違いますので、上にあげたお笑いの方々以外にもたくさん、日本人に笑いを届けてくれた芸人さん達がいます。

お笑いは日本人にとってかかせないものではないでしょうか。お笑いは日本が誇れる文化のひとつでもあると思います。

笑いを提供してくれる人たちに国民栄誉賞や文化勲章などを授与されてもおかしくありません。
落語家などは、それらのものをもらっている人もいます。

現在のお笑い芸人の中で、どなたかが代表でもらってもおかしくはないと思います。

お笑いは、私が生きていく上で心を軽くしてくれたように思っています。とても感謝しています。

「司馬遼太郎と明石家さんまの時代に生まれて良かった」と心から思っています。



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