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私がSNSに傷つけられた時のこと。

今SNSが大きく揺らいでいる。

Twitter上には「誹謗中傷」という文字の嵐。

私は有名人ではないので、
匿名の誹謗中傷を受けたりしたことはないけれど、
SNSで嫌な思いをしたことは多々ある。
今回の騒動で、そんな過去の嫌な体験を思い出してしまった。
誰かが言うように、した側はすぐに忘れるけど、
された側はいつまでも鮮明に覚えているものだ。

今回の件は、誹謗中傷だけの問題ではなく、SNSの使い方から見直すべき大きな問題だと思った。
今回は私の過去の嫌な出来事をここにカミングアウトし、
このSNSの問題をもっと身近に考えたいと思った。


中学時代、まだみんなTwitterを始めたばかりだった時。
私は、「望月南緒は〜…」と、実名とともにTwitter上に悪口や根も葉もない噂を書かれたことがあった。
書いたのはクラスの男子だった。

学年の多くの人がそのツイートを見ただろうし、他校の、私の全く知らない人も見ていただろう。
あの時の恐怖は忘れない。

「お前が悪いことしたからじゃないの?」
と思う人もいるだろうから、経緯を説明すると、
私は同じ学年のある女の子と喧嘩になった。
喧嘩は非常に些細なことだった。
その女の子がきっと、その男の子に私との喧嘩の話をしたのだろう。
彼は、「俺が代わりにこらしめてやる」とでも思ったに違いない。

そう、つまり彼は全くの第三者で、私は彼に直接何かしたわけでもない。
そんな時に突然何の心当たりもない私への悪口が、全世界に掲示された。

結局、私は母に相談して、彼の家に直接電話をかけて、ツイートを消してらうように頼んだ。
あの時はとにかく怖くて、よく覚えていない。
でも、私が思っていたより彼が「普通」だったのは覚えている。
めちゃくちゃキレていたわけでもないし、ツイートのように私に罵詈雑言をかけてくるわけでもなかった。

SNSの怖いところはそう言うところで、私たちはSNSを通した向こうの顔を見ることができない。
相手は、本当に軽い気持ちで、片手間でそういった攻撃をしているのかもしれないけれど、
それを受け取ったこちらには、それは見えない。
どんどん悪い想像をしてしまって、恐怖に支配されてしまう。
有名人は、そういう体験を何百何千としていると考えると、本当に恐ろしい。


二つ目の経験は、もう少し経ってからの話。
私の身近なところで「裏垢」なるものが流行ったことがあった。
「裏垢」同士で繋がって、そのフォロワー間だけで、公開アカウントではできないようなつぶやきをしていたらしい。
私はそのツイートたちすべてを直接見たわけではないので全体像はわからない。
もしかしたら、「お腹すいた」とか「眠い」とか、
本当に些細なツイートをしていただけかもしれないし
誰かの悪口で埋め尽くされていたのかもしれない。

しかし、私にとっては「裏垢が流行る」という現象が非常に恐ろしかった。
そこにあった友情関係は
「裏垢をフォローし合うことで、秘密を共有している」=「仲がいい」
というものだった。
自然と、そこに入れないものは除外された。
当人たちは除外しているつもりはなかっただろう。

ではなぜ私が、そういった「裏垢」の存在を知ったのか。
それは、その裏垢で繋がっていた1人が私に「密告」してきたから。
その内容とは、「裏垢で私の悪口を言った人がいる」と言うものだった。
(確か、「痩せろ」みたいなツイートだった気がする…笑)

その時は非常にショックだったし、
そのツイート1つ見ただけで、私にとっては、その裏垢の世界で私は「悪口の対象」であり、
これ以外にもどれだけ私はあの空間で悪口を言われているのだろうと想像すると、
本当に恐ろしかった。事実がどうとか関係ない。想像しただけで怖かった。

そもそも、そんなことわざわざ私に言うなよ、という感じでもあるが。
私はまだ未熟だったので、そのことを他の人に相談してしまった。
噂が回るのは早いもので、裏垢の存在が明るみになり、
今度は「誰が密告したのか」という犯人探しになった。
こうなると信頼関係が崩れるのは早く、
その「裏垢の世界」はすぐに崩壊した。
密告する可能性のあるものはフォローが外され、
フォローが外されたものは、外に裏垢世界のことを話した。
この事態がどのように収束したのかは覚えていない。

私は、それからしばらくは、
「うざい」だけのツイートとか、個人の名前は出さなくとも誰かを否定してるようなツイートは、
すべて自分に向けられているんじゃないかと思ってしまうようになった。

そして、悪口や秘密で繋がっている信頼関係を、信頼しなくなった。

私はこうして、SNSでの失敗を何度か経験している。
(私の失敗なのかはわからないが。)

私はこの教訓を生かして、
・SNSに個人の話はしない、名前は出さない(悪い話の場合は絶対)
・裏垢は作らない
・悪口を書かない
・誰かに向けていると捉えられるようなツイートはしない
というのを心がけている。

今回誹謗中傷に関しての議論があるが、

私はやはり、事前に色々と教えて欲しいと思う。
学校などでもっとSNSの使い方に関して学んで欲しいと思った。
私のように誰かに傷つけられることで学んだり、
誰かを傷つけてから反省して学ぶのでは遅い。
その前に、しっかり知っておくべきだと思う。

例えば、我々は心のどこかで「タバコは悪いもの」という価値観がある。
実際は、睡眠不足とか、ストレスとか、タバコ以上に体に悪いものは沢山あるらしい。
それでも我々が「タバコは良くない」と思うのは、そう学校で何度も教えられているからだと思う。
そういう意識を刷り込ませているから、タバコを吸う人に対して嫌な目を向ける人がいる。
SNSだったらどうだろうか。
学校で「SNSに悪口を書くやつ、誹謗中傷をする奴は悪い奴だ」と学ぶとする。
すると、どこかでそれはやってはいけない行為という意識が生まれる。
誹謗中傷している人を白い目で見るようになるかもしれない。
通報するというのも1つの手段ではあるが、大切なのは「空気」「雰囲気」だと思う。
非常に日本人的だけどね。
完全に0にはならないかもしれないが、
SNSの間違った使い方をしている人が少しでも減るかもしれない。

私たちは大人になってから、いろいろな失敗や辛い経験をする。
これはSNSだけじゃなくて、
男女差別の問題とか、LGBT、性教育なんかもそう。
そして大人が「これをもっと子供たちに教えて欲しい」と訴えている。
どうか子供達の、
テストとか、受験とか、進路とか、
そういう目先の未来だけじゃなくて、
何年後、何十年後の未来も見て欲しい。

たかが22歳の私が言うことに説得力はないかもしれない。
でも亡くなった彼女も22歳だったということを忘れないで欲しい。
22歳の彼女を苦しめていたのは、年齢も性別もわからない沢山の人達だった。

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