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「LGBTは周りにいない」という発言について


ふとツイッターを開いて、
たまたまみたツイートの中で、
「私の周りにLもGも一人もいない。
親戚にも、今まで人生で付き合った人の中にも。
だから、理解が足りないっていうよりは、
理解のしようがないんだから。」

という発言をしている人の動画を見た。

腸が煮えくり返るとはこのこと。
こんなに他人に腹が立つことがあるだろうか。

気になって、この人のインタビュー記事も読んでみたが
これ以上は私の健康衛生上よくないと判断し途中で読むのをやめてしまった。
元気になったら今後読もう。

なぜ私は腹が立つのか。

私は、今までいろんな人に
理解のない、偏見差別的な発言をされてきた。
「LGBTって本当にいるの?」
「理解できないんだよね」
バイト先の人、友達、親戚、、、
その度に、こんな怒りを抱えることはなかった。

あぁ、この人は何も知らない。
今までの人生や環境や教育、人間関係
そんな色々がこの人の考え方を作ってしまったんだなぁと
十分に教育がなされていない現状や、
私たちよりも上の世代の、まだLGBTが世に知れ渡る前の時代のせいにしてきた。
これからもっともっと、自分や様々なアクティビストの方々、教育者、政治家
いろんな人の努力と訴えとともに、
こんな考え方がなくなる社会ができていったら。
そんな風に考えていた。

ではなぜこんなにも腹が立っているのか。

私は、高校3年生の時に、
好きだった男の子からゲイであることをカミングアウトされ
その大失恋をきっかけに今の活動や研究を始めることとなった。
非当事者だけれども、
たくさん学び、出会い、
あの時とは価値観も知識も大きく変わった。
今は、彼との出会いは人生を良い方向に変える出来事だったと、感謝している。

でも、高3までの私も、
恥ずかしながら自分の周りに同性愛者やトランスジェンダーはいないと思っていた。
当時は、バラエティやドキュメントで性同一性障害の人が
あたかも珍しいかのように取り上げられるような時代だった。
私の中でも、
例えば、5つ子や、身長が2m以上ある人や、どこか遠い国に住む人のように、
17年生きていた中では出会えていないが、どこかには絶対にいる人、
LGBTの人たちも、そのような位置付けだった。
今だったら、それが違うということがはっきりとわかる。

自分の周りにいないから、理解しようとしたって無理?
そう思うなら、声をあげよう。
そうやって生まれたのが、
「#私たちはここにいる」
というハッシュタグ。
これをみて私は涙が出そうになった。

また、当事者の人たちに声を上げさせなければいけないのか。
いつもいつもそうだ。
理解のないマジョリティが、何も知らないマジョリティが。
当事者の方々を怒らせ、その度に彼ら、彼女らは声を上げ、立ち上がる。
我々非当事者、マジョリティにもできることはないのだろうか。

今、少しずつだが、
セクシュアリティはLGBTだけじゃなくて我々すべての人間が持つものだ、
性はグラデーションで、みんなのアイデンティティだという、
SOGI的な考え方が広まりつつある。

その中で、こういった事件や、発言があるたびに、
LGBTと我々、という構図に逆戻りしてしまう。
邪魔しているのはどっちだ。


悲しいことに私は、ここに怒りをぶつけることしかできない。
どうか、私のように、非当事者、アライとして
性の多様性やLGBTについての理解を持つ人がいるということを
ここに訴えるとともに、
私と同じように、LGBT当事者でなくとも、
何か、この異様な何かに、怒りを抱える人は、それを一緒に訴えよう。
#私たちも共に

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