見出し画像

2020.5.19 死後の世界、トムクルーズ

タネラジのTwitterライブを聞いた。

昔から死後の世界には興味がある。それでも、大学を卒業してから親しかった人が二人亡くなって、ますますそちら側を近く感じるようになった。翌年、祖父母が亡くなってからはさらに。仕事の性質上、毎日のように会っていた人が何人も亡くなったりもした。

私は暫く、いつ死んでも悔いのないように生きようみたいなことをよく思っていたけれど、今も勿論それはそうなのだけど、それ以上に死にたくないという思いがそういう経験の後には強くなった。

私は、絶対長生きしてやるぞ、と、はっきり言葉にするような感じで思うようになった。
意識的に、長生きしようって言わないと生きる気合いが入らない。

だから、シンギュラリティとかの話と一緒に語られる電脳世界とかAIで生前の人格を再現とか身体機能を代替する介護ロボットの技術の進歩とかオカルトか科学か微妙な話も肯定的に捉えている。

友人に、妖怪になることを目指している加藤さんという方がいる。彼は死なないことを目標にしている。荒川修作を尊敬していて、三鷹の天命反転住宅に暮らしている。荒川修作の思想も、死なないこと、とは切っても切り離せない。

死なない、ということはその人の思想や肉体的な経験がこの世に残るということとかなり近いものだと思う。AI美空ひばりにも期待したのだけど、あれは違った。タネラジでも触れられていたけれど、あれは他者の作為が入り込みすぎていて気持ちが悪かった。

まだ読んでいないけど、AI手塚治虫はどうだろう。これには抵抗をあまり感じなさそうな気がする。というより、手塚治虫はAIが無くても生きている。学校の図書館に、実家の本棚に、彼の漫画を読んだ作家の作品の中に。

先日、てんしとあくまというお笑いコンビの川口さんという方が亡くなった。フォローしているすゑひろがりずさんのツイートを観てネタを観たら転げ回るほど笑ってしまった。

私の友人は、付き合いがけっこう深かったこともありもうこの世にいないという気持ちが大きいけれど、でも共通の友人と会う時、一緒に作ったものを見返すときにまだその人が生きているのと同じような感覚を覚えることがある。

タネラジの話に戻ると、zoomのように二次元のコミュニケーションならそこに亡くなった方のAIを投影することが可能で、zoomのコミュニケーションに慣れた世界ならより死者との会話も違和感が無くなるんじゃないかとかそんな話で、共感した。

ハリーポッターの続編の中でハリーの息子がダンブルドアの肖像画と会話するシーンがあった、、ような気がする。でもそれはダンブルドア本人ではなく一部でしかないとか諭されていた。賢者の石の中でハリーが「みぞの鏡」の中に死んだ両親を見て毎晩覗くのをダンブルドアが諭したり。

なんかそのことも思い出した。

午後は、録画していた若女将は小学生を観た。期待していたほどではなかったのだけど、ラストの神楽のシーンの手前で梅の木がアップになるところは綺麗だった。交通事故には本当気をつけたい。車運転しながら蘊蓄言うのはやめたほうがいい。

喜多方の木みたいなアスパラが届いたのでこれからしばらく食卓が明るくなる。

夜はNetflixでトムクルーズが出ているベトナム戦争で負傷兵になって荒れるけど最終的に反戦デモのリーダー的存在になるみたいな映画を観た。

前半のベトナム戦争の件は、本当にトムクルーズ演じるロンがばかでばかで仕方ない。戦争に行くのも行ってからも、何一つ褒められるところがない。
ただ、下半身麻痺で帰ってきてからの周囲の視線や家族の反応と本人のギャップを観ているとこちらの感情も揺らいできて、本当にばかなのはロンじゃなくて、自分をまともだと思いながら息子を戦争にやった親と国だと思えてくる。

メキシコの娼婦に彼が癒されたことなども含めて、どこか過去の日本、それから今の日本とも重なるところが多く、観てよかったと思った。

ビール飲んだからまとまらない文章をだらだらと書いてしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?