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「買って」買う、「買って」買う!

モノを持つことと「買っている」こと。

たくさんあればいいわけじゃない。お気に入りのものだけで身の回りを固めたい。妥協して買い物ができない私の「買う」の考え方。

■今日のレコメンド:「買って」買ってみる

「買う」=「惚れ込む」と考えて、モノを購入してみる。身の回りに気に入らないものを置かない、気に入ったものだけにしてみる。

■今日のタイトル:「買って」買う、「買って」買う!


ヨレヨレの服を着ている私に夫が言う、「洋服買っていいよ?」と。


夫は私が欲しいものを我慢していると思っているかもしれない。我が家は家賃と現金支払い分は私のお給料から出していて、後は家族カードで夫の口座から引き落とされるシステムになっている。だから、私が遠慮して買ってないと思っている。それもある。でも、欲しいものがないのだ。かわいいと思う服がない!


「買う」という言葉の意味を考えたことがあった。

普段「買わなきゃ」と思って買うことが多い。お腹が空いたら食べるものを買うし、日用品も生活のために買う。でも本当はどうでもいいもの、特にこだわりがないものは買いたくないと思っている。それは、「買う」という言葉がとてつもなく大きな意味を持つ単語に感じてしまったからだ。

何かの拍子に「買うって才能を『買う』」の「買う」だよね!?と思った瞬間に、恐ろしくなった。簡単に気軽に、てきとうにしていい行為ではない、と思ってしまった。惚れ込まないと買ってはいけない、と感じてしまったのだ。「才能を買う」レベルで買わないといけないなんて、レベルが高すぎる。。



私は元々貧乏性なので必要ないものは買わない主義だ。

でも、「買う」の重みに気づいてしまってからは、余計に簡単に買うことができなくなってしまった。とりあえずこれでいいや、という買い方は食べ物と日用品以外はしていない。本当は食べ物も日用品も心から気に入ったものだけを買いたい。でも、なかなかそういうものには出会えない。だからと言って買わなければ死んでしまう、生活に支障がでる。


私が貧乏性かつモノを持たない生活が好きだということに加えて、この「買う」が余計に私からおしゃれを遠ざけているのだ。夫よ、そういうことです。

まして、子どもができてお腹が大きくなって普通のサイズが着られなくなっている。せっかくかわいいと思ったものに出会っても、今は着れないしな、、と思って結局また私の洋服は増えないのだ。通常期でも私は1週間着回せない量の洋服しか持っていない。4月5月は会社に出勤するのが週1回だったのをいいことに、マタニティ用品もほとんど買ってこなかった。慌ててネットショッピングをしようにも気にいる洋服が見つからない。私はおしゃれではない。おしゃれに見せたいという欲もあまりない。妥協して選んだとりあえずの洋服を着るより、着古していても気に入って買ったものを着ていたい。こだわりがある、という点ではおしゃれなのかもしれない。でも、冷静にみると結構ヨレヨレだ。ヨレヨレでおしゃれ、なんて言えない。




夫に洋服買っていいよと言われたことは一度や二度ではない。

でもほしいものがないのだ。

ほしいものがあれば買っている!

価格帯の問題なのか?普段見るお店じゃなくてもう少し価格帯を上げれば気にいるものが見つかるのか?確かにちょっと背伸びをしたお店に行ってみたら素敵だなと思うものがあったことがある。でも、それはそれで納得できないのだ。質と価格と身の丈にあっているか、すべてを満たすものってなかなかないのだ。私が納得する、惚れ込む服はどこにあるのでしょうか。神様、教えてください。結構切実。


だけど、このなかなか買えない性格のおかげで、毎日何を着ようか迷う必要がない。もう選択肢が限られている。洗濯中のものもあるので、1つか2つでしか迷えない。スティーブジョブズが同じ服を着ていたように私も迷う時間が節約できている、と思うことにしている。ただこの梅雨の時期は本当に着るものがなくて焦ることになる。今週もまた雨続きだ。


ほしいものがたくさんある、ありすぎて買えない、というのは私にとっては羨ましい悩みだ。私だっていろいろ買いたいのだ。すきなものをたくさん買って、身の回りに溢れかえっている状況になってみたい。自分の周りをすきなものだらけにするのが幸せのコツ、みたいな考え方がスピリチュアル界隈というのか、そういうらへんにある。この言葉には、すきなものがどれくらいあるのか、ということには触れられていない。多分大事なのは、気に入らないものを置いておかない、ということだ。そういう観点からいくと、私はすきのものに囲まれているし、結構幸せなのかも知れない。実は昨夜も断捨離してしまって、寝不足なのだ。


私の身の回りは「買い続けている」ものでできている。たまにあまり「買っていない」ものもある。これからもっと「買っている」ものの割合を増やすんだ。量より質というやつ、量が幸せのバロメーターだった時代はとうに終わっている。

次はどんな「買い」に出会えるだろう。

■レコメンドポイント

モノが少ないことがいいというわけではなくて、どれだけすきだと思えるモノの割合が多いかが幸福感を作る要素の一つなのでは、と思う。値段の高い安いではなくて、本当に気にいったものを揃えること。手間も時間もかかるけど、それが結構幸せ。ただし、洋服についてはTPOを守れるくらいには持っていた方がいいと思う。夫に恥ずかしい思いをさせていたら申し訳ない。

■レコメンドへのメッセージ

「買って」買うということ。「買う」の意味を考えるようになってから、私の心が少し軽くなったよ。ケチだから買わない、お金がないから買わない、という考え方で自分を責めなくなりました。私の心がときめいてないから買わないだけ。なかなか買えなくて困ることも正直たくさんあるけど、それでも買った後に後悔することはほとんどない。高校生の頃、はまっていた古着はサイズが合わなくてもとりあえずそれっぽいものだったらそこまで気に入ってなくても買って結局あまり着なかったってこともあったね。あのハートのニット、買うときのことをよく覚えてる。あとはあの緑のワンピースとか。大学生くらいまではモノを捨てられなくて、高校生の私が買ったまま着てないあの古着たちもなかなか捨てられなかった。でも、今はもう数年前の洋服はほとんどない。今の私が着たいと思うものしかない。あの頃はたくさんモノがあることが安心できたけど、今はたくさんあると落ち着かなくなったよ。10年でだいぶ変わった。その時々で幸せの形は違っていい。今の私には「買っている」モノだけの生活が幸せ。もうしばらくこの形かなあ。高校生の私とは違って、ちゃんと試着して、自分がかわいく見えるものだけ買う。着られるから、という理由で買わない。サイズが合っているだけでは買わない。単体で見てかわいくてもそれが私をかわいくしてくれなかったら買わない。この値段だしあってもいいかな、で絶対買わない。それは私を幸せにはしてくれないよ!!「買って」買う。「買って」買うのだ、私よ。

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