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直観を感じ取る

直観で生きる

ということは、結構難しいのかもしれません。


自分の理想


こうなったらいいなぁという気持ちが高ければ高いほど

頭で考えている気がします。



叶って欲しい、叶って欲しい
と想えば想うほど

頭からの指令が
心からの直観だと勘違いして動いていることは、何気に結構よくあって



そういう時は
大抵、、、うまくいかない。



行動している最中、何かしら違和感があった。

ということに、その時動いている時はわからなくて、後で振り返ってみればわかる。


なぜなら、その時は叶えることに必死だから。




私は、少しせっかちなところがあるし
答えを急ぎすぎてしまうところがある
だから、直観からの指令が待てない傾向にある。


いうことが、最近になってわかりました。



私が感じる、本来の直観からの指令って


どっしりしてて
この時にこう動くのが
『当たり前だよな』
というそんな感覚。



その感覚というのはそれぞれ違うかもしれませんが、私にとってそんな感覚なんです。


答えを急いでしまって
闇雲に動いて頭で直観を無理やり創り出す感じとは、もちろん違ってて。



これ動いとかないとなんか気持ち悪い。
動くのが当たり前。

本当そんな感じなんです。


経験して
わかってる、わかってるんですけど、、、


でも、理想や叶えたい!
が強すぎたら
ついつい、間違えて頭で行動してしまうんです。


ついつい、同じことを繰り返しがち、、



だから、ちまたで言われている
引き寄せっていうのは
『執着を手放しなさい』
と言われているのでしょう。


なぜなら、執着を手放さないと
いつやってくるかわからない直観を
まだかまだかと期待して待ってたら


直観を自分で無理やりつくってしまって
直観だと思い込み行動する



だからその直観を待っている時
唯一、できることといえば

叶うことを確信し
いつ来るかわからない
どう動いていいかわからない
その『直観』という形でくる指令に備えて



その時その時の瞬間を
楽しく、充実した気持ちで
私らしく過ごすこと。

ただただそれだけなんです。



だから、
無理やり何かしら予定をつくっていれたり
頑張って楽しんでみたり

そんなことではないということ。


もし、仮に
自分らしくない楽しくないことをしてしまったら、、

無理やりやってしまった代償として
負のループの中に入ってしまい、また抜け出すための労力が必要になる。

そしたら、叶えてしまうまでの時間が本来直観を待っていた時スムーズに行って叶ってたであろう時間より、叶える時間が長くかかってしまうんです。


それに気づいた時、
そこで学べたこともたくさん在りましたが、


私は少し後悔しました。


なぜ闇雲に動いてしまったんだろう。と

きっと、、
本来よりも時間がかかっている、、と。


だから叶えたかったら



ただただ信頼するということなのでしょう。


それは、言い換えれば

自分の可能性への信頼。
絶対叶う。という信頼。


自分自身への信頼

それは



自分を愛するということ


それは


自己愛を育むということ



最近、自己愛を育むことって
とてつもなく人生で重要なことなんじゃないかと思ってます。


自己愛を育むことは、
直観は信頼できるようになるから
ということだけでなく


さまざまな良好な人間関係を築くために大切んだなぁと、最近しみじみ思っています。
(また改めて自分なりに想いや言葉がまとまったら、noteの記事としてかけたらなぁと思っています。)

(と、それはさておき)


直観に従って生きれるように。

自分が自由に受け取れるスタンスでいるためにも
“今”を楽しく生きるためにも


常に軽やかな自分でいれるように



感覚のセンサーの分析や
気持ちとの会話


もっと上手に、
もっと自分自身と仲良くなれるように



私は、日々奮闘中です。


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