私はまだまだ、これからだ。

しっかり者でやりくり上手、
先々に物事を決め進めていく母。
自由が好きで
どこに行くかわからないような父。

私はそんな両親の元で育った。

姉、私、妹という女3人子ども。
という、父以外は女ばかりという環境。
父は遠慮してか、いつも1人になろうとしていた。
そして、幼い頃の私は
どこか母が大黒柱だと思っていた。

父の稼いでくるお金でうまくやりくりして
子ども3人育てあげている母はすごい!
父の存在は、もはや私の中では無くなっていた。

そうやって生きていた私は、
母のようになりたいと思っていた。
料理上手で、やりくり上手、立派に子どもを育て上げる。そんな人に私もなりたい!

そんな風に母を『凄い人』『尊敬する人』として観て生きていた私は、本来の私ではなく、
いつしか母の殻を被り生きていた。

息苦しささえも感じないようにして。

私はある日、ある人と出会った。
『そこにはあなたはいないよ』
その人は、
そんな事をゆっくりと教えてくれた。

ずっと、
そう言ってくれる人を求めたのだと思う。

そして、色んな事を手放していく中で少しづつ母の殻が剥がれ始め、徐々に自分を取り戻してきた。

そしてわかってきた

私は、表現する事が大好きなんだ!
私は、自由が大好きなんだ!
私は、自由に選択して、自分で動きたい!
もっともっと私自身を
自分自身で理解して出していきたい!

こんなに自分を理解し表現するのが好きなのに、どんだけ母の殻を被って生きていたのだろう。
それでは、息苦しくなる筈だ。

父は父、母は母、姉は姉、妹は妹。

そして私は私。

なぜ、そんな事がわからなかったのだろうか。
なぜ、母を凄い人と尊敬し、
なぜ、父の存在を消してきたのか。
本当は上も下もなく、対等な存在なのに。

そしてある日意を決して、
父には、今までどこか無視して生きてきた事。
母には、嫌われないように生きていた事。
正直に初めて、
それぞれと面と向かい本音をぶつけて話をした。

それは、
ずっと怖くて怖くて出来なかった事。

でも、私が本音で話すことで、
不思議と父も母も本音で話してくれた。
自分の生い立ちや、
どう考えて、どう生きてきたのか。

そして子どもたちの事を
どれだけ大切に想い、愛しているかを。

言っても意味のない事なんじゃないかって
悩んでた。どこか嫌われるんじゃないか、一人になるんじゃないかって思ってた。
でも、えいやぁ!って飛び込んだ世界は、明るく温かい世界の様に感じた。

あんなに怖かった気持ちがウソのように
ホッとし、安心感に変わった。

『本当の親子になれた』
そう思った。

それは今までになかった感覚。

その時間は、今まで一緒に両親と築いてきた時間に比べれば、とても一瞬だけど、
これからお互いを生きる上で必要なかけがえのない時間の様に感じた。

もっとこんな時間を、
お互いを、ずっと大切にしたい。

そして、今やっと自分を出しながら、
両親との関係を築いていっている。

だけど、
時々こんな気持ちがふっと出る。
『母に好かれたい』
時に私の気持ちを超える範囲で、母の機嫌を伺い、しっかり者の母についていこうとしている私がいる。
自由に生きたい私はいつしか窮屈になり
そして、父の存在が置き去りになる。

昔はそんな状況さえも理解できなかったが、
今は少しづつ自分をみつめ、
そういった自分も徐々に俯瞰して観えてきている。

そして思う。
まだまだ、私の被ってきた殻は厚い。

その分、まだまだ、
自分のオリジナルは発揮できるはず。

まだまだ私は、これからだ。

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