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渦中にいるときは分からなかった

 2010年ごろから良くなかった私の精神状態、おおよそ、1-2年ほど前からかかなり落ち着いて来た。
 落ち着いて来た理由はだいたい見当がつくような気がする。それは子供が成長して言葉を獲得してくれたことだと思う。

 私は子供が苦手であった。今も得意ではない。苦手な理由は、彼らのことがよく分からないからだと思う。子供、だけでなくて人が考えていることがわかりづらい。自分自身も子供の頃の記憶ってあまり思い出せなくて、想像力も湧かない。だから本を読み頭で育児をしていた。
 その時一番つらかったことって、子供といえども自分ではない人の人生を左右する選択をしなくてはならないことであったと思う。また、こちらのやったことの成果が反映されて人1人作られるみたいに思っていたので、斜め上から怒っちゃったり、時にはひっぱたいたりしちゃって、後から「傷つけちゃったんじゃないか、トラウマになるんじゃないか」なんて思ってすごく怖かった。
 そんな中「オタクのお子さんの発達に問題が、、、」なんて他の人に言われると、もう自責の嵐である。実際に小学校に入る前にそういうことも言われたので、義務教育を受けるだけなのに、入学前に何かしら大きな判断しなくてはいけない状況で、「わーおめでとう」とは無邪気に喜べなかったなあなんて、書きながら思い出してきた。そんな滑り出しでオロオロしながら始まった小学校生活であったがそれなりに過ごすことができ、早いものでもう半年ちょっとで終わりだ。月並みな感想だが、学年が上がるたびに段々楽になってきた感じはある。

 うちの子は大体4年生ぐらいになったあたりから反抗期のとば口に立ってきた。まあ口は悪いし、こっちの言うことは聞かないしで、私が何か小言を言うと、こちらのイラっとする点を的確について舌鋒鋭く何倍にもされて返される。本当にカチンとくるが、一方で文句の言い合ができることがありがたい。「あー、私間違ったことしても大丈夫、間違ったら文句を言ってもらえる」って思えるのだ。
 また、私自身も小学校高学年ぐらいからの記憶は薄いながらもあるようで、その頃の自分を思い出しながら、こりゃ言われたら嫌だよなぁ、でも人生の先輩としては言っとかなくちゃ、とか思いながら付き合えるのでだいぶ気が楽になった。
 小さいお子さんを育ている方を見ると、みなさん上手にやってらっしゃるように見える。私は全然ダメだった。だから「ダメな奴だったよ、うちの母は」って将来言われても「へへへ、そうだったね、ゴメンゴメン」って笑って返そうと思う。

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