思い出1-経験値

小さいころ、工場が遊び場だった。

高度経済成長期が終わり、父親は会社勤めをしながら自分の腕を生かして機械の修理などを個人で請け負って仕事をていたころ、私は生まれました。その後、個人の仕事が大きくなって父親は独立しました。

独立したころ、私は幼稚園。しょっちゅうかかってっ来る電話に対応するようになったのはいつからだろう。はじめは、母親が取った電話に父親を呼びに行く役。大きくなるにつれて自分で電話をり、用件の内容も複雑になってきた感じ。そのうち、近所の工務店にお使いに行ってものを受け取りに行ったり、工務店への電話を代わりにしたりと過ごしていたように思います。

大人の電話を子供がでても許された時代、電話を受けて用件を伝える。この経験は、自分にとっていい経験でした。親に用件を伝えるためには、用件を覚えないといけません。小さいときは覚えられないからずっと用件を口ずさんで父親のところまで行っていました。途中で忘れたことも何度かあり、機嫌が悪いときは怒鳴られもしました。もう少し大きくなると、用件の内容を指折り数えて漏れがないように伝えました。そのうち、父親の返事をもらって電話で返事をする(「後からかけなおします」が多かったとおもう)ようになります。経験することでもっと高度な経験をするようになっていきました。

父親は、難しい仕事の依頼に対して、「お願いします」と依頼されたらできるまでとことん考えました。どうしても全部ができないときは、設計者と議論を重ね、やってきました。今みたいに工作機械が高性能ではない時代、技術力だけでやってきました。その根底には常に難しいことにチャレンジし、新しいことを考え経験を積み重ねてきた土台があるからです。

余談ですが、父親に仕事を依頼するとき「できませんか?」と依頼されたときは基本断っていました。ここにも父親の哲学があります。この件はまた今度。

話を戻して…。経験したことから想像、創造することによって新たな経験に結びつきます。その時、自分の能力が上がります。想像、創造するときって、ちょっと今までの経験ではできない物事を行うときだと思うのです。新たな出来事に対して、自分の経験を思い出し創意工夫して新しいものを生み出す。だから私は常に考えることによって自分の能力は増えていくと考えています。極力「できません」は言いたくないです。しかし、矛盾していますが、これまでの経験で絶対無理!と思っていることに関しては即答で「できません」と言います。その際は、ただできないということはせず、必ず理由をつけるようにしています。理由をつけることで、もしかしたら理由を打破できるいいアイデアが相手からもらえるかもしれないからです。私が理由を言わずに「できません」と答えるのはその人とやりたくないというか経験値を積むことを放棄したからです。

で、考えることができる人に育てるのが親の役目ではないかと最近思うようになってきました。一から十まで準備して用意して子供に経験させること、これも必要ですが、ある程度の経験を積んだら一人でやらせないといけないよなと思うのです。でも、考えている最中にこちらが助け舟を出すのもいけないんだよな、とわかっていても、ついつい口が出て失敗を多数繰り返してきました。子供も大きくなりましたので、役割を明確にして妥協点を提示しながら干渉せずにお互い向上して生きたいと思います。