エシカルの一線を超えたのはどこから?
自然から命をいただき、自然の中に返していく・・ そんな暮らしから、人工的なものを作って無理やり地球で消費しようとする時代になったのは、いつからなのだろう・・とふと思ったのですが、いつでしょう・・。
人工的なもの、という線引きでいいのかもわからないのですが、使い終わって廃棄、放棄したときに、地球に迷惑がかかるもの。
目に見えるわかりやすいところでは、例えば、今日久しぶりにコンポストに天地返しをし、寝かせてあったコンポストと入れ替えたのですが、数か月寝かせていたコンポストの生ゴミはすっかり土になっているのに、その中から、ほぼ劣化しないこの子たちが出てきました・・
バナナに貼ってあったシールなんて一見紙のようですが、ほぼそのままでした。
目には見えにくいけれど影響があるところでは、例えば化学肥料。「北の国から」で、化学肥料を使った畑が豪雨で流されるシーンがありましたが(古いですね‥ 調べたら'87でした・・)、扱いやすいのだと思いますが、本当の土の栄養という意味では何か違うのでしょうね。
農薬を散布したきれいな野菜たち。虫が顔を出すような野菜が自分が子どものころはよくありましたが、そんなものが出てこようものなら、我が家の子どもたちは大騒ぎです。
プラスチックも化学肥料も、発明された当初はEthical(倫理的)な点でネガティブなものではなかったのだとは思いますが、現代でいうところのエシカル(環境保全、社会貢献、エシカルコンシューマリズム/環境に配慮した消費行動)というところでは、考えを改める必要があるのだと思います。
が、日本でのその認識はまだまだまだまだ・・・と思いませんか?
ちなみにパリでは、2024年からコンポストが義務になったそうです。ヨーロッパの各国でも、有機廃棄物は分別されているそうです。https://eleminist.com/article/3186
生ゴミは、燃やすゴミでいいのでしょうか?
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