南野陽子さんに憧れてカンボジアに行ってみた~地方部学校訪問記
2024年1月後半に訪れたカンボジア。
今回は、ついに⁉念願叶って実現した/記事にできることを楽しみにしていた学校訪問の話です。
※学校訪問の機会を頂いたのは、NPO主催のツアーに参加したためです。
ツアーを主催され、学校支援に尽力されているスタッフMさんの同伴の下、現地に伺いました。
写真や情報を掲載するあたり、許可をいただいています。
一応、”ボランティア活動”でしたが、本当に別に特別なことをさせて頂いたわけではなく、学ばされたことの多い1日でしたので(個人としては)「ボランティアしてきた」とは思っていません。
-興味を抱いた背景
89年に24時間テレビで学校を訪問され、2013年のアナザースカイでは20数年ぶりに再訪されたナンノさん。
20数年経ち校舎は整備されたものの、子供達の前のめりになって授業に励む姿・ひたむきな学習意欲はあのまま。少しでも多くのことを知りたい、吸収したい、そんな想いが伝わってきたそうです。
詳細は以下記事を参照。
大きく感動したと共に、カンボジアの学校の雰囲気や子供たちはどうなのか、興味を持ったと共に、カンボジア現地の学校に行ってみて実体験してみたいと思い続けていました。
また、ナンノさんは現地の子供たちに”あっち向いてホイ”を一生懸命教えて、広まったのだそうです(笑)。
-ボンクナー小学校/カンボジアの地方の学校について
カンボジア全体の教育や学校の現状については、JICAの以下の情報が正しく簡潔にまとまっていると思います。
カンボジアは内戦終結から四半世紀以上経過し、国全体としては経済発展も遂げましたが、教育の面はまだまだ遅れています。
日本はじめとする支援の影響もあり都心部や大規模な学校は大分整備されましたが、地方部ではハード面/ソフト面(設備的な面でも人材的な面でも)まだまだ整備が追い付いていない学校が数多くあります。ボンクナー小学校もその1つです。
今回訪問させていただいたボンクナー小学校は、プノンペンから西に1時間ほど離れたコンポンスプー州という地方の一角にあります。
少し話がそれますが、訪問日前日に、Mさんのお知り合いで、日本では教師をしており今はカンボジアで青年海外協力隊として活躍されてるというHさんにお会いする機会がありました。
Hさん曰く、
「知識人が殺されてしまったのは国としてのダメージが相当大きい。とにかくカンボジアは教育の水準が遅れている。カンボジアは日本の50年前くらいの教育を行っていると思う。」
「教師は時間にルーズであり、良くも悪くも日本の教師のような使命感や責任感が強い人はいない。愛を持っているのだけれども、体罰をすることをいとわない人もいる」
ということです。
説得力ある声だったのではないかと思います。
訪問日前日は学校がどんな雰囲気なのかはイメージが全く想像できず、いよいよ学校訪問、と想うと(旅行疲れは出ていた筈なのに)不思議な気持ちとなり結局あまり眠れませんでした。
訪問日当日、朝6時半くらいに宿泊先を出発し、田舎道を2~30分程走って到着。
※日の出時刻は6時くらいだったと記憶しています。寒さはなかったです。
到着したら、体育の授業が行われていました。授業はNPOの日本人ボランティアスタッフ(20代前後の女性3名)のサポートの下で行われています。
学校の外観は以下のような感じです。
決して恵まれているとは言えない環境でしょう。
ボランティアスタッフに自己紹介したのち、学校の水道設備を見学。水道は最近新設されたばかりのモノです。
2023年時点では水道設備が不十分で衛生指導も広くいきわたっていなかったものの、ボランティアスタッフの方のクラウドファンディングにより建設され、手洗い等の衛生指導も行われ、ようやく軌道に乗り始めたのが現状です。
-子供達との交流
学校長や先生等に挨拶させて頂いた後、授業の中に混ぜてもらい、私=日本人が見学に来ていることを紹介して頂きます。
1クラスに人数は40人以上(学校により違うと思いますが)いて、私が見学させて頂いたのは低学年のクラスでした。
現地の皆様と交流するにあたり、簡単な挨拶程度のクメール語は勉強していきました。
※伝わりはしましたが、長期滞在してもっと密接にかかわりたい…となると、コミュニケーションが問題なくできるレベルまでは勉強しておく必要があると思います。また、google翻訳もコミュニケーションを取る上では役立つとの事です。
「クニョム・チモホ・○○(名前)」と自己紹介をすると元気な声/笑顔で応えてくれました。
ここからが交流のスタート。
交流についてですが….お題について何か話し合うとか、日本文化を紹介する等をイメージしていましたが、全く違いました。
(事前に伺ってはいましたが)何か印象を持ってもらうためには、日本語も英語も通じないため、視覚的に伝わるものを披露して見せる必要があったのです。
茶道や武道など...今まで参加された方も色々なことを披露/挑戦されたようです。
ということで、Mさんと一緒に全力で”あっち向いてホイ”を披露。
大声でじゃんけんをし、あっち向いてホイ! 数回繰り返し披露し合いました。
結果としては…教えるのには失敗してしまいました。
披露したこと自体は大分受けたのですが、いざ皆でやろう、と声をかけてやってみても、「同じ方向を向いたら負け」ということが伝わらず、全員指さした方向を向いてしまったのです。
高度すぎましたね💦。
推察するに、本当に覚えてもらいたいのならばより少人数で綿密なコミュニケーションを取り合ったり、何日にも渡って定期的に実演/覚えてくれているかチェックする等が必要だったのでしょうか。
その他、子供たちは授業がない時は外でのびのびと過ごしていることが多く、日中交流が続きます。
私も終始明るく交流する努力をしましたし、楽しそうに応じてはくれましたが、やはり「知らない外人が来た」というような印象の方が強く抱かれた印象を受けましたし、覚えてもらうまでは達しませんでした。
仕方ないですかね…。
また、女性のボランティアスタッフは子供達とマンツーマンで縄跳びをしたり、ハイタッチ/時にはハグまでしていましたが、コミュニケーションではなく、体を触れ合うような”熱い交流”を子供たちは喜んでいた印象を受けます。
-学校内での様々な一幕
まずは昼休みの光景。
日本の学校は給食やカフェテリア等がメジャーですが近所のおばちゃん?が構内に露店を出しており、軽食や飲み物等を取って過ごす子供たちの割合が高かったです。
また、”プラスチック容器・食器は捨てず、洗って再利用する”という環境問題を考えた取り組みも始まったようです。
次は、耳が不自由生徒に対しての個別指導。
目の見えない子に対しては、日本から取り寄せたという算数セットを用いながら個別指導が行われていました。
聾学校などカンボジア地方部にはまずない上に、教師の人数も充分とは言えないため、このような生徒のためにも包括的な境域を施すためには日本からのボランティアのような外部からの援助が不可欠です。
次はゴミ問題。校庭には所々にゴミが落ちています。
(そこまで汚い印象は抱きませんでしたし、教室内はあまり落ちてなかったですが。)
校庭に落ちており、これらもボランティアスタッフで手の届く範囲内で拾っていきます。
少しは私もお手伝いさせていただきましたが、全部拾い完璧にきれいにするとなるときりがないほどの規模だったと思います。
何故ごみが落ちているかというと、故意に捨てているよりは、回収されることなく焼却して再利用されているからです。
集められ焼却されている様子がこちら。
日本にいても同じようなことはあることと思いますが、カンボジアでは家庭の貧富の差はもっと顕著な問題です。
お金があり、Primary school(日本における塾)に行ける子もいれば、貧しい子は本当に貧しく勉強したくても中々恵まれないという子もいるそうです。
※写真はありませんが、帰り道に遠目から貧富世帯を見せていただきました。
1日農作業をしてそちらで自分達の食や生計を立てている一般的な自給自足生活に近い生活のようで、掘っ建て小屋のような家でした。
-午後の授業
午後はボランティアスタッフによる英語の授業を見学。
二部制なので、午前と生徒は入れ替わります。
学年は中学年から高学年の混合、レベルとしては幼児から低学年向けの初歩英会話程度・読みが中心の段階でした。
ABC/SUNDAY, MONDAY, TUESDAY/Head, Shoulders, Knees and Toes 等の、英語の歌を用い合唱したり、図を指さして読み方を確認(下の図を見せて、問題:【リンゴの絵を指して】Aから始まるこれは!? 答え:Apple のような感じ。)したりといった内容でした。
数字の読み(1はone/ワンと読む)も取り扱われてましたが、13以降(13=thirteenと30=thirty)の読みに苦戦していたのを覚えています。
トータルで振り返ると、私もこんなようにして英語に慣れ親しんでいったな…と小さいころを思い出し、見学していて楽しかった一時でした(笑)。
また、きっと子供達も先生=中年男性より、ボランティアスタッフ=明るくフレンドリーな若い女性に教えてもらった方が定着も早いのでは!?とも感じてしまいました(笑)。
一方、黒板やホワイトボードこそあり授業をするのに支障はないものの、消すもの(黒板消し)はなく、ボランティアスタッフは手で字を消していました。
そんな中、日本から持参したウェットティッシュが役立ちました。
授業後、天井にはコウモリが巣を作っていることや、穴が空いているのを発見したボランティアスタッフたちと私(下の写真の赤丸部分)。
両方とも、今後安全な学習環境を提供するために改善が急務と話し合い、授業を終えました。
子供達/教師共に気づいていないのだと思いますが、そのような環境にもかかわらず、普通に授業が行われ、子供達が勉強をしているという事実が色々と考えさせられました。
-終えた感想
真剣に1日色々と取り組んだつもりですが、「1日では全然足りなかった。」というのが率直な感想です。
もちろん自身の実力不足や性格面もあると思いますが、大きなことができたとは全く思わないし、かといって挫折を味わったというわけでもないです。
とはいえ、日本からの支援がなくなってしまったら、子供達は自立していけるのか/将来はどうなのか…というやるせなさは残りました。
1日だけで完全に完結・満足してしまったら、明らかな自己満足だけのボランティアになってしまったと思いますし、1日で足りない、とは誰が行っても同じように感じるのではないかと思います。
おそらくもう少し長い期間滞在しても同じことで、本気でカンボジア/子供たちの未来を変えたければ、現地に長期滞在(最低でも半年)して完全に現地の人になって、ほぼ毎日のようなスパンで向き合っていくしかないのではないかと思います。
(正直、今の私にはその自信はないです。もしもそうして学校に長期間滞在したら、日本に帰った際に今回以上にカルチャーギャップに驚き悩んでしまうと思います。)
ですが、実際に現地に行って体験しなければわからないことが多いと身を持って感じましたし、今回は貴重な機会をいただけて本当に良かったと思います。
また、子供たちだけだはなく、そこで全力で子供達と向き合っていたボランティアスタッフの皆様も輝いていたように思います。
ボランティアスタッフのサポートもあり、すべてが発展途上のカンボジアの小学校。「全員がイキイキとしている/人間味に溢れている」ように感じた場でした。
そして、子供たちは決して物資や環境が豊か・恵まれているわけではないけれども、幸せそうである。
幸せとは⁉ 生きるとは⁉ 身を持って考えさせられました。
日本人は豊かであるがゆえに色々と日々悩んで生活をしていることと思いますが、それはとても小さなことに感じてしまう気がします。
カンボジアの子供達には、日本人や他の民族にもないような、唯一無二の不思議な力があると思います。
改めて、とても貴重な体験をさせて頂いて良かったです。
もしもまた機会があったら数年後に訪問し変化を見てみたいですし、また別の学校も見に行ってみたいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。オークン!
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