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"南野陽子さんとカンボジア"から考える国際協力と人生論 後編-楽曲「明日への虹」

2013 1/18。日本とカンボジアが外交関係を樹立して70周年を迎えたのに合わせて、女優・南野陽子さんがカンボジア大使に任命されました。
TV番組で2回訪問されたことがあることと、それにちなんでカンボジアについて想いをつづった楽曲「明日への虹」を制作されたことがきっかけです。
「何故、南野陽子さんがカンボジア大使に!?」「以前カンボジアに行ったことがあるって、具体的にどんなことしてたの!?」と疑問に持たれる方もいらっしゃると想像します。
第1弾では「24時間テレビ」やTV「アナザースカイ」について取り上げたので、そちらも合わせてお読みいただけたら嬉しいです。
https://note.com/naonanno6797/n/n658cd6c55718
今回は第2弾として、楽曲「明日への虹」について取り上げていきます。

「明日への虹」は以下からご覧いただけます。

<<“ឥន្ទធនូដល់ថ្ងៃស្អែក” ច្រៀងដោយ លោកស្រី មិណាមិណុ យ៉ូកុដែលជាតារាចម្រៀង និងជាតារាសម្តែងជប៉ុនដ៏ល្បីល្បាញ >>...

Posted by Embassy of Japan in Cambodia ស្ថានទូតជប៉ុននៅកម្ពុជា on Thursday, February 17, 2022


・絆フェスティバル2022にて発表


2021 5/24放送のラジオ「南野陽子 阿部亮のNGO世界一周」ではカンボジアに対して何かをしてみたい旨の発言をされており、同年年末には5年ぶりにライブを開催されたりと、「カンボジア」「歌手活動」に対する再始動の兆しがかかっていたように思います。そのような中で、2022 2/17、Facebookにて絆フェスティバルにビデオ参加され、楽曲「明日への虹」を発表されました。

以下、映像参加でナンノさんがされたスピーチになります。
「チョムリアップ・スオ、南野陽子です。日本カンボジア絆フェスティバル2022、参加させて頂いてありがとうございます。まず、カンボジアの皆様、カンボジア日本人材開発センターの皆様、国際交流基金の皆様、ご尽力を尽くしていただいてありがとうございます。 日本カンボジア絆フェスティバル、こちらは浴衣の着付けだったり、折り紙だったり生け花だったり、 書道とかコスプレとか、日本文化を皆様に体験して頂いたり、カンボジアからは伝統衣装・クバン(縦2メートル横3メートルもある大きな布1枚からできており、結婚式などでよく着用されるという)の着付けを教えていただいたり、カンボジア風の生け花とか武道とか、伝統芸能を教えてもらって体験することができ、両国の友好がさらに深まるきっかけになっていると聞いています。現在は新型コロナウイルスの影響でプノンペンに行くことはできないので、映像で参加させていただくことになりましたが、それでも嬉しいです。
私はカンボジアに行ったことは2回あります。1回目は1989年(24時間テレビ)。その頃はまだ日本大使館もないころで、21歳でした。小学校や病院・孤児院へ行ったりと、色んな人に会って色んなものを目にしました。街には自転車が多く走っていて 人々の前向きなエネルギーを感じられて、言葉で何か教わったわけではないけど、たくさんのことを学んだように思います。
それから随分経って…2013年に2回目(アナザースカイ)だったんですけれども、89年に会った子供達、当時まだ10歳ぐらいだったのが、25年ほど経って立派なお母さんになってたり、バリバリ仕事されてるご婦人になっていたり…すっかり大人になっていて、びっくりしたのと嬉しかったのを思い出します。
2回訪ねるとカンボジアに対する想いもずいぶん大きくなって、人生をかけて、またカンボジアの皆様と何かをしなければいけないなと思っています。その仕方、やり方をどうすればよいのか考えていたんですけれど、その想いを知って私の友人や仲間が協力してくれて、歌を作ることができました。
来年は友好70周年ということで、勝手に?テーマソングを作ってみました。
とても良い曲ができたので、来年はカンボジアの皆さんと一緒に歌えたらなと思います。それでは聴いてください、”明日への虹”。」

・「明日への虹」

PVはレコーディング模様や24時間TVの映像を基に構成されているのですが、”24時間TV”や”アナザースカイ”が見られていない方・更には南野陽子さんのファンでない方にとっては「?」と感じられてしまう部分が多いと考えます。
一つ一つの箇所ずつ、掘り下げ取り上げていきます。

明日への虹は作詞は南野陽子さん御自身、作曲は井筒節さん。
井筒節さんは東京大学総合文化研究科特任准教授・国連勤務の経歴をお持ちで、現在はSDGSや障がい・ウェルビーイングの研究をされている一方で、作曲家としてミュージカルや映画等への楽曲提供もされています。
2020年にはラジオ「南野陽子 今日はナンノ日っ!」にも出演され、その中で、好きな楽曲は「潔白(イノセント)」(ファーストアルバム"GELATO収録のコアな楽曲)と答えられていたり、ラジオ「ナンノこれしき」のノベルティ「ナンノへんてつ」を所持されている方で”ガチ勢ナンノファン”といえる側面もある方。
今回にうってつけの作曲家だったと思います。

しっとりとしたピアノのイントロとともに映されるのは、自転車が行き交っていた1989年当時のプノンペンの大通りの映像です。


♪暑い風の中 深い木々超えて 喧騒と幻想の世界に降り立った

89年に初めて、ポチェントン国際空港(現:プノンペン国際空港)から、ナンノさんがカンボジアの地に降り立ち、カンボジアへと足を踏み入れられたことを表していると思います。
※ちなみに当時のナンノさんは、日本が真冬であった中でカンボジアへと赴かれたことから、カンボジアへ着いた途端に気温が暑く感じられたそうなので、”暑い風”とも重なります。


♪熱い眼差しの あなたに出会った 言葉でなくその瞳で友ができた瞬間


車窓からポチェントン国際空港やカンボジアの街並みを眺めるナンノさん(上)→空港第一孤児院で、共に食事し交流を深め合っている映像(下)が映されてます。
カンボジアの人々と出会い、言葉の壁を感じることはあっても、表情や瞳で互いに繋がり合ったことを表しているのだと思います。

♪その涙の理由は聞かなかったけど その痛みから私は今逃げないと心に誓ったよ

カンボジアではポル・ポトの戦争遺構や瀕死の赤ちゃんがいる病院など、悲しい出来事を目撃したこともあったものの、辛い経験ではなく、逃げない=カンボジアと携わっていく決意を示していると想像します。


♪一瞬の出会いから 変わってく この想いに 近くに感じた友と 取り戻したい気がした


小学校を訪問し、屋外で小学生たちと交流、日本の位置を地球儀でそれぞれ差し、日本とカンボジアの距離の近さを伝えていたナンノさん(上)→
ナンノさんが車で去る中、子供たちは車を懸命に追いかけ続け、ナンノさんも手を振り見送り続けた映像(下)が挿入されています。

当時の小学校の生徒たちは、年齢も40歳過ぎくらいになっていると想像しますが、それぞれ今現在どうしているか、ナンノさんと再会された方はいるのかについては分かりません。しかし、小学生達との交流は、”一瞬の一期一会の出会い”であったものの、互いにとって決して忘れられない一時になったことを表していると想像します。


♪空にかかるこの虹が 橋となり互いつなぐ
翼にのせ絆感じて、未来へ運ぶ友と ともに作る明日へ



♪厚い雲かかる 私の心は 眠る人が置いてった 思いと同じ悲しみ


恵まれている環境とは言えなかった、第一孤児院内部の映像が挿入されています。
2番になって、アレンジがより重厚になっていくのも楽曲に深みを与えています。

♪その涙の理由は言わなかったけど
強く握る手のぬくもり あなたには話せると思った

”強く握る”という前向きな歌詞と、前向きな瞳で上を向いているナンノさんがよく重なっていると思います。

♪一生にどれくらい あなたに逢えるだろう
訪ねてくれた笑顔に 勇気と光見つけた

孤児院の中で、自身の歌「涙はどこへ行ったの」を用い歌と日本語を子供たちに教え、ひたむき・自分らしくありのままに交流していたナンノさん。

当時は今後”どれくらい逢えるか”と想いながら少女たちと交流していたと思いますし、「少女達が微笑みかけ、話しかけてくれたことで、ありのままの自分でできることは何かわかったような気がした(24時間テレビ)」。「己を見失うまいと必死だったからこそ、少女たちの裏表のない優しさ、暖かさに救われた、”感動”という言葉にあるように、自分らしく、感じたままに動くことが大切。感じて、動けば 胸いっぱいの感動をもらえることを、カンボジアで出会った少女達から教わった(アナザースカイ)」ことが、歌詞と重なります。

♪この虹の向こうには そうきっと何かがある
今一歩踏み出すから 未来に向けて友と

レコーディングと打ち合わせ模様の映像となっています。
カンボジアに対して何かをしたい、と考えていた中で、井筒さん達仲間とともに歌を制作されていること、そしてカンボジアの人々や私たちファン含む様々な人々と一体となって、「日本とカンボジア」、「人と人」とを繋いでいくために一歩踏み出していきたいという抱負を表していると思います。

♪空にかかるこの虹が 橋となり互いつなぐ
同じ空を見て馳せる 未来に願う
友とともにつくる明日を…

「明日への虹」が「日本とカンボジア」、更には身近な「人と人の絆」や、「多様性世界・現代のグローバル社会」を繋ぐ楽曲になるよう、願いが込められていると思います。


最後に、"カンボジアの妹たち"との集合記念写真が1989年→2013年の再会時と映り変わって、幕を閉じます。

※アナザースカイにおいても"カンボジアの妹たち"との写真は公開されておらず、このPVを通じて初公開されたことになります。深い余韻と感動を与える構成となっていると思います。

互いに再会が叶い、時を経ても絆で結ばれていたこと、そして時が経て互いに年齢を重ね、街並みは変わっても"人の温かさ"は変わっていなかったこと、それに対するナンノさんの想いが表れていると思います。

・「明日への虹」に秘められたメッセージの考察


高校より私はグローバル社会について学ぶ機会が多かったのですが、授業で「もし世界が100人の村だったら」について触れる機会があり、「明日への虹」と重なった部分が多くあるため、この場で共有致します。

https://www.youtube.com/watch?v=RcEqVPbXMSM&t=79s

@youtube より

「もし世界が100人の村だったら」は、世界の人口を100人の村に縮小して、世界の「多様性」と「貧富の格差」を表した文章です。日本では著書「世界がもし100人の村だったら」(著者:池田香代子、出版:マガジンハウス)で有名に、インターネット上でチェーンメールのように広がりました。

文章の内容としては、最初に世界がもし100人の村だったら、そのうち女性は52人で48人が男性であるというものから始まり、人種や宗教、使用している言語について言及しています。そして「いろいろな人がいるこの村では
あなたと違う人を理解すること 相手をあるがままに受け入れることが
とても大切です」とし、世界の多様性を伝えています。そして、エネルギーの保有率や、教育の普及率、識字率などについても言及しており、世界の貧富の格差も分かりやすく可視化されています。
最後は
「だからあなたは 深々と歌ってください のびやかに踊ってください
心をこめて生きてください たとえあなたが、傷ついていても 
傷ついたことなどないかのように人を愛してください
この文章を読んでいるあなた自身と 
この村に人々が生きているということを愛してください」
と、自身の置かれている環境を愛し、人と人とが尊重し合うことの大切さが述べられています。

解釈は多様であり、答えのない奥深さのある文章のように思いますし、様々な議論がされている模様です。
「世界がもし100人の村だったら」に高校の授業で触れ、この度見返したことで、日本は非常に恵まれた環境/国であり、感謝して生きていくべきであると痛感したと共に、多様な人種や文化・価値観の下に世界は構成されており、貧富の格差を抱えていることを学びました。
グローバル社会は常に課題や格差を抱え、紛争や差別などがなくなることはないのが現状ですが、
・常に異なる人種や価値観に対しては、偏見や先入観が存在すること、
・相手の価値観を受け入れる精神を持たず、己の価値観を絶対視している
ことが、和平や人と人とが交流を持っていくことへの壁となっていると考えます。
そのため、広い視野を持って世界を見ていくことが重要であり、偏見や先入観を捨て去って交流してみること、相手を受け容れる・多様性を受け容れる精神を持つことが大切と考えます。


虹”は多様な色で構成されており、LGBTの象徴「レインボーフラッグ」のようにのように多様性の象徴として用いられている場面も多く、明日への虹における”虹”も、多様性や貧富の差を抱える現代のグローバル社会全体を表しているのでは?と解釈します。
虹のように、様々な人種や文化で構成されいる一方で、常に異なる人種や価値観に対しては偏見や先入観も存在する・課題や格差を抱え、紛争や差別などがなくなることはないグローバル社会…
簡単に解決することがない課題ではあると思いますが、一人ひとりが先入観や偏見を捨てること、国境や立場・文化や価値観の違いを超え互いを尊重し、受け容れていくことが重要と考えます。
「人と人とのつながり、絆」の重さを唄った同曲はカンボジアに対してだけではなく、現代社会、平和に対するメッセージともいえる曲になっていると思います。

南野陽子さん・井筒さんはじめとした楽曲制作に携わった方もそのような意味も込めて、楽曲を制作されたのだろうと解釈してます。

「世界がもし100人の村だったら」を授業で取り上げて下さった高校の恩師にも感謝すると共に、素晴らしい楽曲「明日への虹」を制作してくださった、井筒節さんら皆様・きっかけを与えて下さったカンボジアの皆様・南野陽子さんに心から感謝致します。

国境や立場・文化や価値観の違いを受け容れ、互いを尊重していくことが、人と人とがつながり「明日への虹」を切り開く、「明日への虹」を切り開くていくのは私達ひとりひとりであると信じています。

私もそのことを胸に、日々行動していかなければ、と思います。

最後までお読みいただきありがとうございました! オークン。




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