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南野陽子さんに憧れてカンボジアに行ってみた~S21/トゥールスレン虐殺博物館 

2024年1月後半に計6日間、カンボジアに行ってきました。
今回は、「S21/トゥールスレン虐殺博物館」を紹介します。


-施設概要

https://maps.app.goo.gl/pmVNFeFi6AxNMrFs7

営業時間 :8時から17時
入場料ほか:大人5ドル 18歳以下 3ドル  オーディオガイド 5ドル
オープン:1980年

日本語(その他多言語にも)対応のオーディオガイドが貸し出されています。各施設や歴史についての詳しい解説や、生存者の生の声聞くことができるので、是非借りて見学されることをお勧めします。
(なしの場合、ただ残酷な展示を見るだけになってしまうと思います。
また、音声ガイドは相当長いです。1つ10分くらいのもありました。全て聞いて回るとなると、最低3時間は見ておいた方が良いと思います。私は閉館時間までにすべてを聴くことはできませんでした。)

-導入

私がこの施設の存在を知ったのは、ナンノさんが1989年の24時間テレビで訪問されたと知ったことがきっかけです。

上はナンノさんが24時間テレビで訪問された1989年、下は2024年現在。
流石に木々が成長している他、慰霊のモニュメントは新設されたもののようだ。

有名かもしれませんが、
・元々は高校であったが、ポルポト政権下でここは処刑場と化し、数々の非道な拷問が行われ、多くの方が虐殺された
・1,2000人~20,000人が収容されたと言われる中で、確認されている生存者はわずか12名。
という事前知識を理解した上で赴きました。

酷いことが行われた過去があり残酷な展示が多い施設、と覚悟して赴きましたが、想像以上の恐ろしさ、残酷さでした….。
そして、実際に現地に行き五感を駆使して巡ったことで知れた情報が多くありましたし、平和の尊さを考えさせられました。

では、ここからは改めて施設のことを紹介していきます。


敷地周辺は、当時脱獄を防止するために張られていた有刺鉄線が残されていた。

今でこそ周辺は栄えて普通の市街地となっていますが、当時は周辺でも拷問が行われていたそうです。

さらに驚きなのが、当時は鎖国体制であった上に秘密主義を貫いており、ここでの拷問・虐殺含むカンボジア国内で起こっていたことは国外には全く知らされていなかったという事。1979年にベトナム人の従軍記者がこの地を訪ね、遺体が並べられているのを発見したことで初めて、ここで起きた負の歴史が明らかになったそうです。

構内は、A棟・B棟・C棟・D棟の4つの建物で主に構成されています。
それぞれどうゆう建物なのか、前知識を備えた上で行くと、より充実した見学ができると思います。

構内図と、オーディオガイドの案内(英語版)
画像出典:https://n-hafizah.blogspot.com/2017/04/phnom-penh-tour-tuol-sleng-genocide.html

A棟入口前には「尋問中の保安規則」が掲示紹介されています。


規則(詳細は色々なサイトに掲載されています)。とても遵守できるような内容ではないが、少しでも守れなかったもの対しては、恐ろしい拷問が待ち受けていた。


-A棟 特別な人物が収容された拷問部屋が並ぶ建物

A棟外観

いざ部屋に入ってみると…
実際に拷問に使われた道具が展示されている他、部屋の左には発見された当初の様子の写真が飾られています。
(後述のC棟と比べると、部屋は広いです。)

ベッドの上に縛り付けられ左の箱は用便を入れるためのもので、溢した場合はなめさせられたという。右は足枷の拷問具。

崩壊までここで起こったことが何も知らされたておらず、79年に初めて発見され、人が立ち入ったときにはどの部屋も死体で埋もれていた… 想像するだけで恐ろしく、いたたまれないですよね。

今でもいくつか血痕が残っているそうです。
(憶測ですが)こちらも汚れ等ではなく、血痕な気がします。

当然、発見された当初はもっと多く見られたのでしょう…


企画展「Remembering S-21 victims through their clothes」(服を通じて犠牲者を振り返る)も開催されていた。
この展示は、当時残されていた繊維を保護・修復するプロジェクトの紹介。

中庭には、処刑台が展示されています。

元は遊具であったが、逆さ吊りにしてつるす拷問器具として使われた。
更には並んでいる壺の中には糞尿が混じった水が入れられており、「逆さ吊りにした上で壺の中に顔を入れる」という拷問も行われたという。

-B棟 収容された人々の写真が飾られた建物


B棟外観

いざ中へってみると…。

収容され、亡くなった方々の写真。番号で囚人のように管理されていた※ぼかし加工あり。

※以下、生々しい写真のため閲覧注意。(※ぼかし加工済) 

処刑された直後の生々しい写真。眼が開いたままだった。

ショッキングな展示とは聞いていましたが、生で見ると想像以上に残酷で、あまりじっくり凝視/長時間居ることはできませんでした….少し気分が悪くなってしまったほどです。
※音声ガイドにおいても、気分が悪くならないよう適度な休憩をとるように案内されている程です。

-C棟 監獄が並ぶ建物

C棟外観。ここにも有刺鉄線が張られている上に、2階~3階までそれが続いている。
自殺者を防ぐために張られた、とのこと。

中に入ると、下の写真のような監獄部屋が何部屋も並んでいました。

C棟内部の様子。

監獄部屋の中の様子。

広さは1.5畳分程。とにかく狭く、居心地は悪かった。ここに長い間閉じ込められていたと想像すると…

-D棟 拷問具や、生き残った方の絵を展示した建物


D棟外観

※D棟は私が訪問した際は残り時間が少なくなってしまい、残念なことに深くじっくり見れずに終わってしまった場所です。

生還者の一人で芸術家であったVann Nath(バン・ナット)さんが描かれた絵や、拷問具が展示されています。
※Vann Nathさんは2011年に享年66歳で亡くなられているそうです。

展示されている絵の一部を紹介します。

”Classroom Turned Prison, acrylic on canvas, ca. 1980”
教室は死の収容所へと生まれ変わり、収容者たちは雑魚寝させられていた、という絵。


Nail-pulling Torture, acrylic on canvas, ca. 1980
片手を縛られ、爪を引きはがされる拷問の絵。


”Mother and Child, acrylic on canvas, ca. 1980”
殺されかける赤ん坊と母親の絵。
「雑草を引き抜くなら、根っこまで」「腐ったリンゴは箱ごと捨てろ」がクメール・ルージュの思想。
生まれたばかりの赤ん坊だけではなく、その親=家族全員までもが虐殺の対象とされた。

※上記3点画像引用元
https://cambodiancontemporaryvisualarts.wordpress.com/artists-cambodian/cambodian/vann-nath/

当初は死骸を埋めていましたが、場所がなくなりやがてキリングフィールドに移されることになります。
出口には遺骨が並べられていたほか、慰霊塔/パゴダがあり、日本人が捧げたであろう千羽鶴もありました。

引用元 https://www.globaltreats.net/how-to-visit-the-killing-fields-and-the-tuol-sleng-genocide-museum-in-phnom-penh/

キリングフィールドについては、また別記事にて取り上げたいと思います。

-日本とトゥールスレン虐殺博物館の近年の関わり

2009年から、"沖縄・カンボジア「平和⽂化」創造の博物館づくり協⼒"の名の下で沖縄の博物館とパートナーシップを提携。
日本側はカンボジアに向け職員の研修・資料保存や展示方法の伝承を行ない、それを受けたカンボジア側は沖縄の歴史も交えた企画展を開催したり、もらったノウハウを活かし出張展示をしたり…と互いの博物館が平和発信に向け協力し合っていたそうです。非常に素晴らしいことですね。

-補足情報

生存者の方の一人 Chum Mey(チュン・メイ)さんが常駐されており、直にお話を聴いたり関連書籍を購入することができるそうです。
(記念撮影やサインにも応じて頂けるそうです。そんなことを書いている私は…お会いする時間を取ることは叶いませんでした。折角の機会でしたし、時間を割いておくべきだったと帰国してから後悔しています。次回訪問するまでの宿題の一つです。)

日本の博物館においては戦争経験者の高齢化が課題となり、今や直々に体験者の方のお話を聴ける施設は少なくなってきてしまっていると聞きます。

その点でも、この博物館は貴重な場所かもしれません。

また、S21での当時の出来事を再現したドキュメンタリー映画”S-21: The Khmer Rouge Killing Machine” (Chum Meyさんも出演)があり、Youtubeでも無料で公開されています。

キリングフィールドについて/カンボジアの負の遺産から見る世界平和については、また別記事で取り上げる予定です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。オークン!


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