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【読書】『ミッドナイトスワン』読んでから観るか、観てから読むか。

 昨日、たまたまYouTubeで、この動画を見つけた。

うっかり、娘と一緒に観てしまった。

美しくて、哀しくて、儚くて、そして 残酷だった。

 田舎では、すぐに映画を観ることはできない。でも、知ってしまった。

 いてもたってもいられず、アマゾンで小説を探した。監督がノベライズした小説版を見つけた。紙の書籍が欲しかったが、夜中だったので、買いに行く時間すらもったいなかった。すぐに、電子書籍で購入した。

 夢中で読んだ。どれくらいの時間がかかったか覚えていないくらい、読後まであっという間。知らず知らずのうちに、涙がこぼれていた。

 

 トランスジェンダーとして生きる凪沙。30才までは、男性として社会で生きてきた。今は、女性として生活しているが、性転換手術をしているわけではない。新宿のニューハーフのショークラブで、生計を立てている。そこにやってくるのが、遠い親戚の、中学生の娘、一果。虐待を受けて育ち、大人の都合で、見ず知らずの叔父のところへ預けられた。

 虐げられ、愛されることも無く生きてきた二人。社会の末端で、もがき苦しんだ末に出会った少女と凪紗。彼らのたった一つの希望は、一果が類い希なバレエの才能を持っていたこと。彼女の長く美しい手足と、バレエに対する情熱が、一果を変え、凪沙を変え、二人の間に親子のような「絆」をもたらしていくのだ。

 凪紗の最後の願い、ただ、一心に

「一果に会いたい、一果のバレエを見たい。」

 ラストシーンで、凪沙を喪った一果は、海に入っていく。

 「母と友のそばに行きたい」

 だが、一果の命を救ったのは、凪沙だったのだと私は思う。

 ただ、一筋に娘の幸せを願った、母の想いが、彼女を救ったのだ。

 この作品の賛否は様々である。トランスジェンダーの哀しい末路のような描き方であったり、突然悪者だった登場人物が、改心したかのような描かれ方など、あくまでもファンタジーとして捉えられるべきプロットもあるだろう。

 でも、私は この作品を読んで、良い悪いを超えたところで、心をぎゅっと握られたような感覚を味わった。言い表しようのない何か。人間とは何か。男とは、女とは何か。母になるとは、親になるとは、どういうことか。

「生きること」まるごとを、考えろよ!!と、何か重たいものを投げつけられたような、衝撃。

 今、このまま 映画を観てしまったら、いつもの日常を送れなくなってしまいそうだ。思うこと、考えることがありすぎて、立ち上がれなくなってしまうだろう。この文章を、映像化することで、より強いリアリティーを持ってしまうから。(草彅剛さんが、凪沙にしか見えない。。。。)

 もう少し、自分が強くなってから、心の体力がある時に、スクリーンの凪沙と一果に会いに行きたいと思う。

 心の体力がある方は、映画からご覧下さい。

 今年一番の邦画になること、間違いなしです。

追伸: 草彅剛さん、ブルーリボン賞受賞 おめでとうございます!!


 

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