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WADAのコロナ話

WADAの退院から
なんだか仕事もプライベートもバッタバタで
すっかり時間が空いてしまいました。
「もう少し落ち着いたら
 ちゃんとご報告をしたい」
とTwitterで言っておきながら
退院のお知らせをしてから
2ヵ月近くも放ったらかしで
なんだか不義理をしてしまっているようで、、
すみません!!

私が忙しさにかまけて不義理をしているうちに
幸いにもコロナの感染者数も落ち着いてきて、
もうこんなハナシ、
誰も興味はないかもしれませんが、
まだ、完全に収束しているわけではないし
「簡単に油断すんなよ?」という
自分への戒めのために、
また、私たち夫婦の記録として、
今回の体験を記しておこうと思います。

あ、と、その前に、
こんなところで言っても
誰に届くわけでもないのだろうけれど、、

こうやって彼が帰って来れたもの
医療従事者の方々、
保健所の方々のご尽力はもちろん、
WADAのことを心配してくださった
皆さまからいただいた
お祈りのおかげだと感謝しております。
改めて、どうもありがとうござました。

自己満足以外の何でもないんですが
お礼だけ、ひっそり言わせてください。
実際、家族が危うい状況に直面して
ひしひしと感じたことなので。。。

さて、現在の彼の状態は、
味覚障害などの目立った後遺症もなく、
すっかり普通な感じにはなっています。

とはいえ、
モトモトあまり丈夫じゃないうえに
10日以上も寝たきり生活をしてからの
自宅療養1ヶ月で
思った以上に体力は失われているようで
まだ電車に乗るような遠出はできていないし、
現場に復帰するのは
もう少し時間が必要かな、というところです。

そうそう、退院後2日ほどして
身体中に湿疹が出ました。
病院に相談する前に軽く調べたら
モデルナワクチンの副反応で
似た症状があったので
その解決策を真似て
ステロイド系の市販薬を試したら
すぐに治りました。
これが、、目立った後遺症だったのかな。

そもそも、どうして感染したか、については、
憶測の域を出ないし、
人が集まる場所で仕事をする以上、
いつ感染してもおかしくはない職業。
とはいえ、本人も感染した場合、
年齢的にもしんどい思いはするだろうと
普段から警戒はしていたので
「誰にでも感染する可能性はある」
と捉えていただければ嬉しいです。

まぁ、警戒といっても、
極力外出は控える。
家族以外との飲酒も会食もなし。
外出時のマスクは必須。
帰宅すると手洗い&消毒、
長時間の外出の場合はシャワーorお風呂。
外出時に着ていた衣類は帰宅したら全部洗濯。
という程度の普通の予防策ですが。。

ワクチンは1回目を接種するという
まさにその日に
ちょっと怠いかもしれない、という程度の
軽い体調不良を訴え始めたので
その時はまさか感染したとは
思っていなかったものの
大事をとってキャンセルしました。
(20%くらいは「もしや?」と思ってたけど)

結局、そのワクチンをキャンセルした
翌日から発熱したため、
都の発熱相談窓口に電話して
近所のPCR検査を行なっている病院を受診し
陽性の診断が下りてしまったのですが。

症状はどんなだったか、というと
普段から頭痛持ちで
常用していた解熱鎮痛剤を飲んでいたせいか
急に高熱を出すという感じでもなく、
2日くらいかけて、
37℃〜39℃をいったりきたりしながら
じわじわ平均体温が上がっていった感じでした。

もともと扁桃炎にかかりやすく
変な言い方だけど
熱を出すことにそこそこ慣れているせいもあって
基本、寝ているのだけど
ちょこちょこ起きてきて食事もするし
普通に会話もする。
咳とか息苦しさとか味覚の異常もないと言う。
ただ熱があって、それによる身体の怠さと
いつもの頭痛があるだけ。

そんな感じなんで、
まさか肺炎を患っているなんて
彼も私も疑いもせず、
ただ、数日もすれば熱も下がって
治るだろうとばかり思っていました。

しかし、療養期間終了と
見込まれていた日に近づいても
熱は上がったり下がったり。
最初に処方された解熱剤が切れてきて
この時点で少し、、変だな?とふんわり感じ、
さらに、保健所から支給された
パルスオキシメーターで
血中酸素飽和度を測ったら
救急要請レベルの数値。88。
そこで初めて、
あ、普通じゃないのかも?と。

それでも、表に出ている症状は
そんなに悪そうには感じないので
救急要請をするには気が引ける。
でも、とりあえず念のため
健康観察センターに相談したら
「入院の準備をして、救急要請をしてください」
え?ホントに?とは思ったものの
健康観察センターの勧告を
無視するのは、、ね。
なんていう消極的な感じで
救急要請をしました。

ちなみに、入院の準備として
彼はお風呂に入ったのですが、
この時、ちょっと派手に
お風呂で転倒した音がしまして、
ま、実際に転倒していたんですが、
これも、救急要請の後押しになりました。

救急隊が到着して、
再度、血中酸素飽和度を測って
その結果、1泊2日で
酸素ステーションに行くことに。
そうだよね。入院ほどじゃないよね、
なんて、ちょっと彼を預ける気持ちで
送り出したんですが
翌日には酸素ステーションからそのまま
一般の病院に入院するという展開へ。

そして、入院した日の夜中。
入院したことに不安は感じつつも
ちゃんとした医療機関に委ねられたのだから
家いるより返って安心かも。と
呑気に寝ていた私を
スマホの振動音が起こしました。

それまでの看病疲れも多少あったし、
先に書いた通り、
彼を病院に委ねた安心感もあって
その日は少し早めに就寝したのですが、
寝入りばなだったのかな、
あー、なんか遠くで音がしてんなぁ、、と
ぼんやり思った次の瞬間に、
急に嫌な予感がして、
慌ててスマホを見たら
0:45〜0:50くらいの5分間に
知らない番号から3回もの不在着信。
普段は知らない番号は無視するか、
一旦、発信元を調べるのですが
この時は、短い間の3回の着信に緊急性を感じて
反射的に折り返したと覚えています。

そして、嫌な予感は的中。
発信元は彼の入院先。

担当医に繋がれて、
夜間の現場の慌ただしさが伺えるような
物々しいコール音を背後に
「23時頃から数値が下がってきている。
 酸素投与量を増やしているけど改善しない
 最後にもう少し増やすけど
 これで改善されなかった場合、
 人工呼吸器を使用します。
 ただ、ECMOは当院にはありません。
 ある病院に搬送といっても、
 この状況では受け入れ先が

 見つかる可能性は低い」
という旨の説明。

え?こんな深夜に
家族に説明しなければならないほど
人工呼吸器を使うことって、深刻なの?

恥ずかしながら、不勉強だった私は、

最初、そう思いました。
「これから最後に酸素投与量を
 増やしてから決定するので
 しばらく電話がつながるように
 しておいてください。」
と言われて、電話を一旦切って、
そこから
〈人工呼吸器 致死率〉とか
〈人工呼吸器 回復率〉の
ワード検索をしまくるけど、
急に現れた深夜の深刻な空気に
動揺しているからか
検索結果の内容が入ってこない。

とりあえず、彼は中等症IIという段階から
重症化するかの瀬戸際で、
日本でいう「重症化」は
ちょっと重いとかのレベルじゃなくて
命の危険があるということを理解しました。

結局、最後に増やした酸素量で
症状が落ち着いて、
人工呼吸器は免れたのですが、
それでも、再び急変する可能性がないとも限らず
その夜は心配で一睡もできず、
結局、仕事をしながら
朝までの時間をやり過ごしました。
(この時ばかりは仕事に救われました!)

肝心の彼はというと、
自分の置かれた状況が
よくわかっていなかったそうで
朝、自分の身体と布団の間に
保冷剤が矢鱈とたくさん差し込まれていて
寒くて目が覚めた、とか
看護師さんが「昨晩は大変でしたね」
って言ってたけど「?」だったとか。

後になって知ったのですが、
WADAのように
本人に息苦しさなどの自覚がないままに
悪化してしまうことを
「サイレント・ハイポキシア」
というらしいです。
「ハッピー・パイポキシア」とも。

ここに至るまでのWADAの様子と
この「サイレント・ハイポキシア」を知って、
あ、これ、この感染症は
本当に死んでもおかしくないんだな、と
ここで初めて正しく
理解できたような気がします。
これまでは死に至る可能性があることは
知ってはいたけども
どこか人ごと、というか、
人ごとに感じていた、ということにさえ
気づいていなかったような。。。

それはさておき、
こんなカタチで重症化したら
一人でいる人なんて尚更
自分の危うい状況に気づかないだろうし、
家族といても殆どの時間を
隔離された状態で過ごすのだから
家族もわからないなんてことは
容易く想像できる。

今になって思えば、私も彼をみていて、
質問に対する反応がいつもより少し鈍い。
耳が聞こえづらいのか、聞き返しが増えた。
寝てる時の呼吸がほんの少し浅い気がする。
というのはどこかで引っかかってはいました。
なので、本人には何度も
「息苦しくはないか?
 具合が悪いのではないか?」
とは尋ねていたのですが、
なにせ、自覚症状がないもんで
「別に大丈夫」という返事ばかり。
だから、実際に数値として現れる
パルスオキシメータには救われました。

もし、これがなかったり、
面倒がって測定しなかったりしたら
ある朝突然、起きてこない。
なんてことになっていたかもしれない。

あと、数値が悪くても自覚症状が薄いので
私たちのように
健康観察センターに相談するのを
躊躇うケースもあるかと思います。
実際、私が強引に電話をしなければ
WADAの性格上、
しなかった可能性が高いです。
って、こう書くと
「私が居て、良かったでしょ?」と
言ってるみたいですが、
まぁ、実際それもちょっと
あるかと思うんですが(笑)
こういう未知の状況に直面した場合は
自己を過信したり素人判断に頼らず、
素直にガイドに沿うのも大切だな、と。
(当たり前だけど)

あと、今回のことで感じたことついでに、
家族が命の危機に面した時に
すぐに駆けつけられない、ということが
こんなにも辛いんだと痛感しました。

お医者さんからの電話の直後、
今すぐタクシーを捕まえて
どうにか病院に駆けつけられないかという
非現実的な計画を
頭の中でシュミレートしては理性で抑える、
というのを何度か繰り返している
自分に驚いたし、
実は、私、このタイミングで感染した
彼の危機管理の甘さに
ずっと苛立っておりまして。
それ故、少し棘のある態度を取ったりしつつも
反面、彼だって仕事しなきゃだし、
好きで罹ったわけではないし、
病人なのだから優しくケアしないとね、
っていう葛藤を抱えてました。
救急車で運ばれる彼を送り出した時も、
微妙にぶっきらぼうな態度だったりもして。
でも、そんな中で彼が入院した直後に
送ってきた最後のメッセージが
「早く帰りたい」だったのを思い出したり。。。

もし、私と彼との時間が
ここで突然断ち切られて
彼が遺骨になって戻ってきた場合、
一生消えない心の傷になっていただろうな、
後悔から立ち直れなかっただろうな、と。
思い出してはつくづく
今回、彼が無事に帰ってきてくれて
良かったと感じています。
って、自分のメンタルの心配かよ、
って感じなんですが。

彼は彼で、発症中は余裕がなくて
酸素ステーションにいる時か
どのタイミングだったかは
忘れたとい言いますが
「人間って意外と簡単に死ぬんだな」
と思ったと言います。

人によっては、
この程度でそんな大袈裟な、、
と思うかもしれませんが
何に対してどう思うかは
人それぞれだし、
こんな気分を味わうのは
もう勘弁願いたいのだけれど
お互いの年齢も年齢だし、
感染症でなくても他の病気とか事故とかで
似たようなシチュエーションが
今後ないとも限らない。
というか、
穏やか&平和的なカタチで迎えるのを
希望しているのだけど、たぶん、
遅くともあと30年くらいのうちには
確実にお別れの時はいつか来るはずで、
そんな中で、彼とどう過ごすべきかを
考え直す良いきっかけになった気もしています。

あと、長引く自粛生活で
一緒にいる時間が増えることで
一緒にいられる時間の尊さとか
そういうものも忘れていたことを思い出したし、
離れている間の、
「点滴の成分のせいで、ちょっと食べすぎると
 インスリン注射をされるのが嫌だ」とか、
「誰とも冗談を言い合えなくてぼっちだ」とか
「両腕に点滴、胸には心電図、
 指にはパルスオキシメータ、
 鼻には酸素吸入器で
 トイレに行くのも大変。
 今の僕は機械仕掛けだ。」
なんて、状態が落ち着いた後の彼との
何気ないメッセージのやりとりが
妙に嬉しかったり
帰って来る日を待ち望む気持ちだったり。
私、わりと利己的で淡白な性格なので
人に対してあんまりエモーショナルな感情を
自覚することがなかったんですが
40をだいぶ超えて今更、ちょっと、
自分の中にそういう感情を
発見することができたのは面白かったな、と、
彼が帰ってこられたからこそなんですが。
思います。
まぁ、これで帰ってこられなかったら
地獄を味わっていたんだろうけど。。。。
怖い。怖い。

というわけで、気づいたら長々と語っていて、
しかも、大変だったけどいいこともあったよ?
的な感じで終わろうとしていますが、
いや、こんな思いせずに済むのなら
それに越したことはないです。

WADAはこれを書いてる日(11/7)の前日
ようやくワクチンの2回目を
済ませることができました。
今のところ、副反応もさほどなく順調です。
来月には健康診断も済ませて、
来年には万全な状態で
お仕事を再開できればいいな、
と個人的には思っています。
あ、でも、外出を必要としない
制作のお仕事はしていますので
年内も、これから色々とお仕事面での
お知らせもできるのではないかな。
もし、ご興味があれば
引き続きWADA(か私)のSNSでも
チェックしてくださいませ。

それでは、長々とお付き合いいただき
ありがとうございました。

皆さまも自分自身のこれからはもちろん、
大切な誰かとの時間を、
大切な誰かのこれからを守るためにも
どうか日々の健康には
お気をつけくださいませ。

特に、今は落ち着いているとはいえ、
コロナは本当に怖いです。
どうか油断せぬよう。。
ではでは。

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