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いい人であるほど人間関係がうまく行かない理由

今日は「いい人はなぜ人間関係がうまく行かなくなるのか」についてお伝えします。

いい人って、一般的にどんな人でしょうか?

優しい人、ささいなことで怒ったりしない人、寛大な人、良くしてくれる人・・

自分に合わせてくれたり、話をよく聞いてくれたり、穏やかに受け止めてくれる人は「いい人だな」と思いますよね。

いい人は、2種類あるといいます。
一つは「魅力的ないい人」
もう一つは「魅力的でないいい人」。

今日お伝えするのは後者の魅力的でないいい人です。

魅力のない「いい人」とは?

魅力的でない「いい人」というのは、NOと言わない。相手に尽くす。人とぶつからないで害がない人です。

相手によくしてあげるし、いつもニコニコして好意的で気遣いに長けています。
でも、そうすることで何か相手に期待することがあるのです。
それは「感謝してほしい」「認めてほしい」「受け入れてほしい」ということです。

期待したのに、相手が感謝してくれず、こちらの好意を当然のこととして受け取られると物足りず寂しくなります。
被害者意識が生じます。それが言葉に出なくても、表情や態度に出るので、それを感じた相手は何か居心地が悪い感じがします。

また、最初はありがたいと思われるでしょうが、ずっと一緒にいるうちに、周りはだんだん慣れてきて、そのうち「どうでもいい人」として扱われるようになります。

こちらは期待をして気遣いをしているのに、結果的には利用される人になってしまうのです。

また、いつも自分を抑えて我慢して相手に合わせているのに、誰かが堂々と自分のやりたいことをやっていたり、意見を主張するのを見ると「あつかましい」と感じて腹が立ちます。

人間関係がうまくいかなくなるパターン

魅力のない「いい人」の中には、恐れ、不安、そうしないではいられない圧迫感、強迫観念があります。

そのために必死頑張っているのに、自分の欲するものが満たされないと、相手に対して不満がたまってきます。

すると、その相手の頼みに対して表面的にはそれまでの習慣で「いいよ」と表現しますが、表情や態度でなにか不満を表したりします。本人の前では好意的なのに陰で攻撃的になるのです。これを受動攻撃といいます。

さらに不満が積もると、嫌な気もちはどんどん大きくなるのに、それを表現できないため、飽和量を超えると連絡を絶ったり極端な行動に現れます。

「いい人」は人と親密になりたいという欲求は強いのですが、近づくと自分が相手の要求をずっと飲まなくてはいけないような圧迫感を感じるため、疲れてしまい、自分から距離を置いてしまうのです。

周りの人も、なぜかすっきりしない感覚を感じてしまいます。

どうしていい人をやってしまうのか?

いい人をやってしまう一番大きな理由は、見捨てられ不安です。

人間は社会的動物と言われるように、誰でも愛されたい、人とつながりたい、受け入れられたいという欲求があります。

幼い頃に親や周りの大人から十分にその欲求を満たされた人は、自分が無理しなくてもちゃんと愛されて受け入れられて認められているという安心感があるため、自分の気持ちに正直に、自然体でいられます。

ところが、例えば厳格でルールの多い親のもとで、情緒的な会話よりはルール、つまり「こうするべき、こうあるべき」の概念がもっと大きかった場合、親に反発しない従順な子供になることでその環境に適用しようとします。

親の言うことを素直に聞けば褒められ、そうでないと叱られたり罰を受けたりする、そういう環境で育つと、大人になってからも人のいうことにノーと言ったりネガティブな気持ちを出すことに、恐怖感を感じてブレーキがかかるのです。

幼い子供にとって、親は自分が存在する理由です。その親が、なにかいつも大変そうで辛そうに見える場合、子供は親を喜ばせようと頑張ってしまいます。親が笑ってくれること、それは子供に取って「自分は大丈夫」と思える証拠になるのです。

そういう子供は親以外との人間関係でも、いつも自分が相手を喜ばせて、相手に負担をかけないように生きないといけないと信じています。

羞恥心

また、いい人をやってしまう別の理由として羞恥心があります。
幼い頃に周りの人、特に親から拒絶された体験をしたときに、自分が自分に対する評価と直結してしまうのです。つまり、自分自身が否定されたと感じて自分を恥ずかしい存在として評価してしまいます。

自分が相手に何かを期待して近づいたのに、無視されたり否定され、自分が準備していったことが何でもないように扱われたら、それが大きな傷になり、羞恥心になります。

例えば、お母さんのお誕生日に一生懸命絵を描いて手渡したのに、お母さんが「何よこんな絵‥!」と言って喜んでくれなかった・・などの経験です。

この羞恥心は、大人になって自分が多くの人に評価されるという新しい経験をすることで上書きされるか、幼いころの傷ついた経験を振り返って「あれはお母さんがたまたま疲れていただけであって、私自身が否定されたわけじゃない」と新しく意味付けができて初めて消えることになります。

そうやって上書きするか、意味付けを変えることなく生きていると、限りなく、自分が否定的に評価されないために、必死でがんばらないといけなくなります。

魅力的ないい人になるためには?

自分のもともとの気質を完全に変えるのは簡単ではないですが、人間は環境に適応し、訓練すれば変えることのできる力が与えられています。

自分がいい人をやってしまう、我知らずのうちにそういう行動をしてしまう心理の裏には、必ず自分が重要だと思っている価値や信念があります。

紙に、自分が重要だと思っている価値を書き出してみましょう。

行動するとき、本当にそれを願ってやっているのか、それとも「そうしないといけないから」習慣になってそうしているのか?

左には「本当に願っていること」、右には「しないといけないこと」を書いてください。
しないといけないと思っていることの裏には、「不安、恐れ、恐怖」があります。
 
次に、願っていないのに「しなければならない」と思っている事に対しては、その代案を考えます。妥協点を考えるのですね。

そして、誰か信頼できる人との間でロールプレイ形式で練習してみます。
その人に対して、ノーという練習をするのです。
緊張を解いて練習して慣れてくると、その人に対してはノーと言えるようになります。

内面の不安感は専門的な取り組みが必要かも知れませんが、行動は自分の努力で変えることができます。
 
自分が本当に願っている価値や信念に対する主体性、確実性を持って区分する必要があります。

例えば左の部分、自分が本当に願っていることが「葛藤のない平和」だとしたら、本当は嫌なのにイエスということが、本当の平和なのか?を考えてみましょう。平和に対する定義が間違ってないでしょうか?
平和を成すために率直にノーということも、平和の一種かもしれません。
 
多くの人が願う価値の一つに「愛」がありますね。
どんな愛が重要なのでしょうか?犠牲も愛を成す一種だとしたら、どの程度まで犠牲になることが必要なのか?自分を押し殺すのではなく、自分の自発的な選択によるものなのか?
本当は嫌なのにやっていることが本当の愛なのか?
を考えてみましょう。
 

本当に魅力のあるいい人とは?


自分のコントロールできる範囲をよく知っている「いい人」が魅力的ないい人です。
相手に好意を与えることのできる自分の臨界地をはっきり知っていて、
自分の欲求、自分ができること、できないことを区別できる人です。

自分の限界を知って、自発的に生きてこそ、短い瞬間にも濃い関係性を築くことができます。
 
なのに、自分を後回しにしていったん相手に合わせる人、得体の知れない不安と漠然とした怖れのために相手に合わせるが、非言語的に不満を漂わせるなら、魅力がない「いい人」です。
 
人間関係は簡単ではないですが、「いい人でないと好かれない」という観念は、真実なのかを考えてみましょう。いい人との定義はなにか?自分の定義を検討してみよう。

有名な本「嫌われる勇気」にあるように、ノーということ、嫌な感情を表現することを、練習してみましょう。

 自分の人生の主導権を他人に渡さないことを決めて、自分とつながりましょう。


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