見出し画像

noteは地上の宇宙のごとく

しっかりnoteを読んだ週末でした。

才能を発揮して受賞をする方、
ご自分の得意ジャンルを皆で楽しむ場へと
企画をする方、

人生を日々ふり返りつつ、常に前を向く方、
寡黙な職人をしっかりサポートし、世の人を美しく輝かせ続ける方、

世界に活動の場を広げ発展に貢献する方、
家族の支えに徹し、心身の健康に心を傾ける方、
瞬間の躍動や季節の変化をアートにする方、

彼方の星の知識を深め、見ること叶わぬ宇宙のロマンを味あわせてくれる方、

海外暮らしの世情を風景と共に届けてくれる方、
医療や介護という辛辣な現実に取り組み、実情を知りつつ、一縷の明るさを忘れない方、

ビジネスマンとして企業が社会にできることに果敢に挑戦する方。
絵やコメディで徹底的に明るさを提供する方、

感性豊かに詩や俳句を詠う方、
自然や人との出会いを絵画にする方、
山登りや旅を記事にする方、
誰もが抱える心の声を見事に届けてくれる方。

記事をめぐって起きる文字の会話の応酬

まだまだ、さまざまな人たちの記事を、

地球の球体に沿って流れ吹く風のように、
岸に寄せる波に運ばれてたどり着いた手紙のように読む。
捕まえきれないものもたくさんあります。

その書き手の誰もが、夜空に輝く星の如く、
すべて異なる光を放つ。
コスモス。カオス。

とにかく、
ものすごく満たされた週末でした。
この充実感はなんだろう。

そんなことに感銘しながら、
ふとラジオをつけました。
すると流れてきたのは
有名な戯作者の話でした。

元禄時代の近松門左衛門。
近松はすでに誰もが知る人形浄瑠璃の台本書きとして成功をしていました。

でも彼自身は自覚していたのです。
書くものはどれも、過去の自分の作品の焼き直しであることを。苦々しい思い。
出口の見えないスランプ。

元禄15年12月4日(1703年)に
あの赤穂浪士の討ち入りがあった翌年の
元禄16年、瓦版に書かれた曽根崎の心中話を読み、深く心を打たれた近松は、
これを人形浄瑠璃に書き換えたのです。

そして空前の大ヒットとなり、
長年のスランプを脱した、と。

それまで武家社会を描く『軍記物』のみだった
浄瑠璃の世界に、事実に基づく、
誰もが身につまされる庶民の感情を描いた
『世話物』が初めて登場したのです。

近松はこう書き残しているそうです。

哀れを伴わぬ物語は虚しい。
哀れの感情には人に共通する愛が根底にある、と。

心中は所詮、敗者の話、
義が通らぬと覚悟の上の愛の成就。
人間なら誰にも起こりうる愛の感情に、
元禄の庶民は大いに涙し、
それから恋仲同士の心中が続き、
20年後に幕府がこの類の脚本執筆、上演を禁止する厳しいお達しが出たほどでした。

この例えは喜ばしい事ではありませんが、
これもかつての事実のひとつ。
同時期を生きる方々の声は人に響く、という
私の感想をまとめるようなラジオ放送でした。

秋、じっくり読書をするようにnoteを読んでいくと、予想外のドラマに出会う。
まるで書店を散策するが如く、
人間社会を覗くかのように。
もちろん、それは
ほんの片隅なのかもしれません。

事実という言葉の意味を追いかければ、
議論も起きるでしょう。
所詮、立場によって
事実は、くるくる変わるものです。

それでもここで言えるのは、
noteの人は自分の善意フィルターで濾過し、
記事に昇華をしている。

私は何度も目頭が熱くなりました。
それは悲しいのではありません。感銘です。

すがすがしさだったり、深さだったり、
美しさだったり、笑いだったり、理屈を越えて、
noteをじっくり読む一日を送ってよかった、と。

私が存在すると信じる
『高度に進化した宇宙人』に
原始的人間の原始的感情って、
こんなテイストですよ、
と教えてやりたい。おそらく、
彼らには理解できないでしょう。

今、地球規模で起きている自然災害、流行病が、
もし仮に、天や神が何かの警告として
起こしているとするならば、

人間が起こしている、
もう一つの、地上に吹く風、
寄せる波の有りざまを、
もっと細部に渡って見て頂きたい。
大雑把に見るだけではなく。

このように愛しく愚かな生き物は、
宇宙の珍種でありますよ。
絶滅させては、宇宙にとっても、
きっと損をします 笑笑。

自分では何も新しい情報を発信せず、
この度は感想だけの、
ちょっとばかり、なまくらな感じです笑。

それでも、もし、ここまで読んで下さったなら、
それは本当にありがとうございました。

いただいた、あなたのお気持ちは、さらなる活動へのエネルギーとして大切に活かしていくことをお約束いたします。もしもオススメいただけたら幸いです。