day198 腰は御神体の要。

朝起きたら、ちょっと腰に痛みがあった。まぁそれでもそのうち良くなるだろうと思っていたら、軽めのギックリ腰。
ガチなギックリ腰は、一度だけ経験しているのだが、今回は比較的軽度だ。しかし痛いものは痛い。

腰痛に対して取るべき態度は、安静より日常生活だという。なるべくいつも通りに生活をしてみるが、結局それってほぼ座りっぱなしだ。
腰が痛みを感じるのは、座面から腰を上げるとき。グハァ!と呻きながらゆっくりと立ち上がる。

ネットで検索して、ツボを押してみたり、体操をしてみたり。ボディケアもしたし、ヨガの虎のポーズも取ってみた(いや正確には取れなかった!)。

引き寄せの法則的には、今目の前にある現実にフォーカスすることよりも、どんな現実だったらハッピーか?に着目する。
うーん、立ち座りが楽で、身体が軽くて、キビキビ動けて、また山歩きに行けること、かな。

ていうか、それってつまり、如何に身体というのが普段それを無意識のうちにやれているか、ということだ。腰が身体を支えて、立ち座りも楽で、キビキビと動くことが可能になっている。そんなの、腰に感謝しかない。

腰痛になるとき、人は大切な、要になる何かを忘れているかもしれない。そしてそれは、あまりにも自然体すぎて普段気づかないものかもしれない。

いつも当たり前すぎて忘れがちなことを、痛みは教えてくれる。

そして、ふと[御身体は御神体]であることを思い出す。

痛みを感じる身体に対して、ああもう動きにくい、嫌だ、大変だ、と文句ばかりをぶつけていた。神様に暴言を吐いている状態ではないか。

わたしの御神体は、ただ優しくされたいだけだ。痛いねー、やだよねー、と寄り添ってあげたらいい。
バファリンの半分は優しさで出来ているというが、わたしは10割の優しさをもって痛み止めの薬を塗り、セデスを飲んだ(バファリンじゃないんかい)。

多分だけれど、明日には良くなっている気がする。幸い、明日は誰にも会う予定はないから、我が家にて楽な姿勢で仕事が可能だし、好きな時間に動くことが可能だ。

いたわろう。無理しなくて大丈夫。仕事もなんとかなるから大丈夫。大丈夫、大丈夫。
呪文のように唱えながら、今日は寝ることにする。

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