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day178 行動そのものより意識と感情が現実を創るのだ。

現実を良くしたい、変えたいと思うとき。
やっぱり地球は行動の星だからね、とアレコレ行動したくなる。

かくいうわたしも、年の初めにビジネスを形にしたいと思い、王道のやり方を学んで手順どおりにやってみることをした。
しかしながら、色々と課金して自分を追い込んでみたりしたものの、全然やれずじまいで止まったままだ。

ワクワクすることをしよう、とか言って[お金になりそうな]ことを[カタチから]やってみるとする。このやり方なら絶対に大丈夫、なんて自分に言い聞かせて、枠からはみ出さないよう歯を食いしばり一生懸命やってみる。

わたしのような根性なしタイプは途中で無理ーとなってドロップアウトするのだけど、きっちり真面目な人は、最後までやりきってしまうのだ。

でも実際、結果はどうか?と問われたら。恐らく歯を食いしばった割には、という感じかと思われる。
そしてまた、自分には何が足りないのだろうか?と、しかめっ面でまた歯を食いしばることを探すのだ。

勘のいい人は気づくだろう。
そもそも、歯を食いしばるのを辞めたらうまくいくということだ。


大切なことは、行動することそのものより、自分の感情が快か不快か?のほうだけだ。
鬼の形相で、他人のやり方だけを真似て結果を追い求めても、なんにも手に入らない。

真面目な人ほど、ちゃんとやらねば!に縛られて苦しくなってしまう。そして[在り方]ではなく[やり方]だけを、見よう見真似でやってみる。
他人が出せた結果のみを見て、その結果を出すための方法論として、上澄みだけを研究したところで、何も得られないのだ。

厄介なのは、そのやり方自体をメソッドとして売っている人もたくさんいるってこと。

昨日の神社で人間観察をしていたのだが、金運にあやかりたい人たちの上澄み行動が凄まじいと感じた。
己巳の日に参拝して、財布やら通帳やらを、すべての蛇紋岩に擦り付けていく。しかもその財布は、とある番組で占い芸人さんがプロデュースしていたお財布の作りと同じものだ。

多分だけれど、この人たちの心の根底は[お金がない]なのだろう。お金がないからお金が欲しい、開運と呼ばれるものには全てあやかりたい。そんな声が聞こえてきそうだ。

開運のための行動が、金運財布を買って金運の神様に願うこと。別に悪くはないが、もっと大切なのは、感情を快の報告に切り替えることだろう。そして意識を[ない]から[ある]に変えていくこと。

ましてやお金は現金でのみ入ってこないし、大金だけがお金ではない。1円でも今持っているなら、既に[お金持ち]なのだ。

1円を笑う人は1円に泣く
なんていう言葉があるが、1円を心から素直に喜べる人には、神様はきっとたくさんのお金を渡したいと思うだろう。

大切なのは、あるという意識と快の感情。
方法論に頼るよりも、もっと先に、自分の意識と感情を注意深く観察してみたほうが良い。

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