見出し画像

day77 見えない世界を信じてみる。

今日は2回目のシャーマニズム講座だった。
画面越しに話を聴きながら、気になることをメモする。世界のシャーマンのこと、科学的なこと、日本の文化のことなど、興味深くて面白かった。

目に見えないものを信じること。わたしはいつから、それを当たり前にして生きていたのだろうか?と考える。

わたしの両親は、見えないものを見たり感じたりすることが当たり前な人たちだった。
そういった意味では、見えないものが存在するということを、物心ついた頃から信じていたのかもしれない。
ただ、わたしはそれを怖れたし、受け取りたくないと思って、信じないように生きてきたのもまた事実だ。


これは完全なる自分の思い込みだと思うからサラリと受け流して欲しいのだけれど、前世の記憶として『御神託を受け取る仕事をしていた』という自覚がある。そういったビジョンが降りてきたのだ。知らんけど。

神様や、見えない世界へと繋がって、何かを受け取ること。それって多分、女性は特にだけれど、やろうと思えばできることだろうと信じている。

その前提として、見えない世界というものが存在することを認める。そして、そこから何かを受け取れることを信じる。

多分、認めたり信じたりができないから、受け取れないだけなのだと思うのだ。
なぜなら、見えないし受け取れないから。という、まるで禅問答な理由。


目に映るすべてのことはメッセージ

まさにそのとおりで、すべてをメッセージとして受け取るか否かで、決まっていくのだと思う。


最近、同時多発的に『オンナ、女性性、スピリチュアル』などのメッセージが、わたしのところに押し寄せている。

これを『あー、今そういうのがトレンドなんだねー』と流してしまうか、または『これはシンクロニシティとして、わたしに必要なメッセージが届けられている』と受け取るか。

そう、結局は受け取り方次第なのだ。


スピリチュアルは怪しくもなければ、特殊な能力でもない。祈りは誰しもが行うことができるし、現実は誰しもが変えられる。
ただ、そう生きるか否かだ。

極論を言えば、今自分が思っているとおりの現実が目の前に届けられている、それだけのことだ。

怪しいと思う人のところには、怪しい情報が寄せられる。信じる人のところには、それを裏付ける情報が寄せられる。
たとえ届けられたものが同じ情報だとしても、互いにそう受け取るのだ。


ちなみにわたしのところに集まっている情報は、女性性やスピリチュアリティを解放していく人たちが、わたしの周りで増えているということだ。
このエネルギーは、少しずつ且つ急速に大きくなっていく。そして、きっと現実世界が変わって行かざるを得ないことになるのだろうと思っている。

このnoteさえも、誰かにとっての
必要なメッセージなのなもしれない。
どう受け取るかは、あなた次第。


スキ♡してもらえると嬉しいです(•‿•)
毎日更新の励みになります!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?