見出し画像

石神の松の花火を打ち上げる

4/9に長野県は中川村に「石神の松の花火」を見に行きませんか?
中川村に通い続けるうちに、地域の活動にまで顔を突っ込むようになってしまいました。笑
なぜこんなに気になってしまったか、その理由を語りましょう!
 
中川村には、石神の松という樹齢推定300年の松がありました。
(ここで石神に反応された方は、相当なマニア!そのあたりはまた今度に。)
この松には伝説があり、
”元和の頃(西暦1615年から1623年)常泉寺に一人の山伏が寄ぐらしていたが、その法力は顕著であった。
当時、頻発する天竜川の氾濫に悩んだ農民は、この山伏に頼って水難よけの祈祷をしてもらった。山伏は二十二日間祈願を続けたが、満願の日、ついに精魂尽きて倒れてしまった。
山伏は死に先立ち、この水神に手植えの松を手向けた。これがその松で、石神の松として伝えられている。”
引用 中川村教育委員会
 
伝説や言い伝えは非常に面白いです。
なぜなら、伝説の中には、人間の手ではどうにもならないような自然への恐れや、祈りや、人々の想いが刻まれていると思うからです。

しかし、2020年の春に強風のために、株元から木が折れてしまったことがきっかけか、徐々に元気を失い、遂には松くい虫が入ってしまった、という診断があり、
「松くい虫被害を広げないために、伐採・焼却せざるを得ない」ということに。

日本全土で松がれ病が深刻なことは承知してはいるけれど、村指定の文化財でさえ、このような扱いをされざるを得ない。
悲しい気持ちが拭いきれないのは、村民ならなおさらのことでしょう。
 
そこで、村民であり友人の左官職人のもえちゃんと、有機農家のあゆみちゃん がなんとかできないものかと立ち上がったのです。
なんと村に交渉し、炭師の原伸介さん、和火師の佐々木厳さんの協力の元、松を炭に焼いて花火にするプロジェクトが生まれました。炭は花火の材料なのです。

これは結構すごいことだと思うのです。
このような場合、ほとんどの物事は、
行政が決めているから、上から言われているから、どうしようもないよね。と、諦めてしまうでしょう。しかしそこに物申す。
 
なぜそれができるのか。
それはこの石神の松を、この村の出来事を、自分事として捉えているから。
 
これは中川村という小さな村での出来事ですが、日本各地、もしかすると世界でも、似たような事象はあるのではと想像します。
これを自分事にし、行動を起こした結果がまもなく実ります。
この石神の松プロジェクトは、動けば変わる、を体現していると思うのです。
  
花火を打ち上げるにあたって、なかなか大きな金額が必要になります。
石神の松プロジェクトの熱量は飛び火するように協力者を呼び、村中を駆け回り、協賛金を集めています。すると、地域のためにと、あれよあれよと協力金が集まっています。
これもまた、すごいことだと思っています。
顔の見えるお金。顔の見える関係性。だれのなんのために使われるかわかるお金。
まだまだ足りていないので、クラウドファンディングも立ち上げました。
こんなにたくさんの返礼品を用意しなくても、という話もありましたが、それもまた、クラウドファンディングを通して、中川村のことを知ってほしい。村の人に還元したいという想いがあってのこと。

少しでも興味を持っていただけたら、ご協力いただけると嬉しいです。https://camp-fire.jp/projects/view/561761
 
このご時世に花火で集まるなんてと思われる人もあるかもしれません。(私の周りにはあまりいないと思いますが笑)
私は、このご時世だからこそ意味があると思います。
 
そもそも元来花火には、悪霊退散や慰霊の祈りが込められていたのです。
  
“江戸時代の享保17年(1732)の大飢餓で多くの餓死者が出て、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えました。
幕府(8代将軍吉宗)は、翌18年(1733)5月28日(旧暦)犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行いました。この時に、両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが「両国の川開き」の由来とされています。”
隅田川花火大会HPより
 
また、日本各地のお祭りがコロナにより縮小、また、高齢化によりなんとか保ってきたお祭りも、コロナがとどめを指し、無くなってしまう。というようなことが日本各地で発生していると聞きます。
 
先日は飯田のお練り祭りを鑑賞してきました。七年に一度のお祭りです。
東野大獅子の舞いを見て、私は思わず涙がこぼれてしまいました。歳を重ねるごとに涙もろくなっているのはもちろんですが、そのエネルギーに圧倒されたのです。

そこには若者からお年寄りまで、祭りを作る者と祭りを見る者とのえも言われぬ一体感。
待っていましたと言わんばかりの、生き生きとした人の活気を感じました。
そうそう、このコロナ禍で忘れられていたものはこれだった。
 
年長者から若手に伝統と技術が受け継がれ、ともに汗をかく事で生まれる連帯感。
年も隔てなく、一つのことを成し遂げる。
仕事や友人関係ではない全く別のコミュニティ。
そのような機会はとても少なくなっていると感じます。

この一頭の大獅子には30人編成の4班、総勢120人が出入りし、40人はお囃子隊で中で笛を吹く。獅子頭は交代交代で舞うそうですが、飯田の町中を練り歩き、最終日の夜には、獅子が眠りにつく大宮諏訪神社にて、全員が2時間ほどかけて1回ずつ演舞するというのです。
七年に一度。中には今年で最後になるかもしれない古老もいるでしょう。

祭りが地域の連帯を深める。
祭りが地域に誇りを与える。
感謝や祈りといった想像力を生む。
そしてエネルギーが爆発する特別な時間。

祭りを遡れば、神話の世界にまで遡ってしまいます。
それほどまでに、歴史から見ても人々の中には祭りがあったのです。 
 
地域の繋がりや、人と人との繋がり、人と自然との繋がり。
繋がっていると感じているが、それはバーチャルの架空の世界ではないでしょうか。
リアルにちゃんと向き合えているだろうか。
これらに危機感を感じているのは私だけではないでしょう。
 
また、祭りというのは、伝統を披露し受け継ぐ場でもあるのです。

今回の花火の前には、伝統芸能を披露する時間も設けていて、これもまた非常に楽しみなのです。
中川人形保存会の方々による人形浄瑠璃では三番叟(さんばそう)が演じられます。これは、神社の祭礼に奉納されてきた祝儀曲​​で、天下太平、五穀豊穣、家内安全を祈願するものです。
また、もうひとつの伝統芸能として、松づくし。松に扮した女性が扇子を用いて型を披露します。
 
 
一つのものを、みんなで作り出す。
石神の松プロジェクトには、祭りと同じような意味合いがあるのではと感じています。

村人たちの活動は、季節の移ろいさえ忘れてしまう現代社会の
こぼれ落ちているものたちを、思い出させてくれるきっかけになると思っています。
 
 
自分たちの作りたい世界は自分たちで作る!
村という単位は非常に面白い。

私のような大都会で育った身としては、手の届くところで物事が動くという感覚が、すごく新鮮。それは村という小さな単位の、まるで自治区のような。
お金という通貨で動いてはいるが、それは顔の見えるお金であり、もはや物々交換や技術交換のような、なにか目に見えない交換がある。
食料だって自分たちで生み出すし、極論を言うと、ここにいれば、野垂れ死ぬことはないだろうという安心感。笑
 
世界を変えるというのは途方もないことだけれど、村という小さな単位であり、手の届く範囲から変えていくことが、結局一番近道なのかもしれない。
村のことを自分ごととして走り回っている友人たちを見て、そう思いました。

長くなりましたが、中川村でお待ちしておりますね!
宿泊したいんだけど、とか、どうやって行けばいいのよとか、質問あれば遠慮なくどうぞ◎

よろしければサポートお願いします◎サポート費は旅の足にさせていただきます。まだ見ぬ地へ。素敵な生産者さんたちの元へ足を運ぶために。