「赦すこと」が一つ腑に落ちた日


前回の投稿から、心の旅は深まった。そんな出来事が起きている。さらに体調が日に日に良くなっていることを実感し始めている。素直に喜んだらよいのだが、悪いとはわかっているのだが、どこでまた下がるかという自分を引っ張る気持ちが隠れていて、いつ更新したらいいのか、躊躇していた。微妙ではあるけれど日に日に嬉しいことが身体に起きている。

昨年の目標はアーユルベーダ治療へ行き、1月には回復し、仕事も復帰するのだ!と決めていたのが、できなかったことで、激しく落ち込み体調はメンタルに比例して酷く悪化した。1月末で辞職したことがメンタル悪化に拍車をかけた。メンタルが落ちると、体調も悪くなる、抜け出せないループにはいった。
周囲のスピリチャルな友人からは「自分を赦しなさい」、「貴方は何が赦せないの?」、「すべては幻、自分を愛しなさい」など言われ続けてきたが、その意味も痛みの渦中では魂に響かず、さっぱり理解できず、ますますただ混乱してきていた。赦したら痛みは消えるのよ、って何?私の何を?だいたい赦すってどういうことなの!?教えて誰か。またたくさんの本を読みあさるが、もうだめだ。孤独な旅だ。

もう生きたくない、そんな時に約2か月ぶりにカウンセリングを受けて、そこで感情と事実を整理した。整理を手伝ってもらって気づいたのが、今の私には動かない自分の身体への怒りがあるということだった。痛みでいっぱいいっぱいだったから気づかなかったが、確かに。。。なんで動かないの!と怒りがある。 いろんなスピリチャル・メンタル本の影響で、無理に「身体ありがとう、細胞よ修復して」と語りかけていて自分の怒りには気づかなかった。そして、突然動かなくなり動揺し、やりたいことを諦め、努力しても報われなくていかるのは当然な感情だと認めた。分かるとは違う、ストンと入ってくる感情だった。これが受け入れるって言うことなんだろう。
こんなことになったのにはカルマの影響はあるのかということを私はカウンセラーに質問した。
カウンセラーが「もしカルマがあるとしたら、動かない身体を受け入れ生きることでしょう」と、踏み込んだことを言った。そして、「痛みが気にならなくことが必ず来る日が来る」と彼女は言った。この二点が、どうしたら受け入れられるんだ?痛みが気にならない日が来るなんて、どうやって来るんだ?どうしたら?どうすれば?私は十分やってきたじゃないか、これ以上どうしろって? 今は運命を受け入れられないし、自分の外にこれ以上答えが見つかるとも思えず奈落の底へ落ちたような気持だった。

しかし!セッションで心が軽くなる、自分の盲点も見つけた。それは自分の決定が予測に合わなかったという事実を受け入れて自分を赦すことだった。それは、はい。ドイツに来たことである。
この事実が心のつかえになっていたとは。カウンセリングありがとう。自分では気づかなかった。
私は、ドイツへ来たのは家族との時間を大切にするためだった。確かにワーク&ライフのバランスが良い条件のドイツでは、家族と過ごす時間に恵まれ幸せです。文句など言えません。しかし、2014年、突然ドイツ移住が決まり3か月という短期間で幼子連れて準備なく移住し、新しい土地では慣れない環境で必死で育児だけやってきて、ドイツ語を習得せずに来た私には、学校とのやり取り、保険など各種の事務書類手続き、病院での対応など、生活のいたるところでドイツ語での意思疎通に困難を感じてきた。人とのかかわり方が、うまくできていないことから生活は窮屈に感じられていた。特に、学校の手続き、やり取りは厳しく、毎回ことあるごとに心の中で「何故ここへ来たんだ!」と怒りを感じてきた。ドイツでは、移民は特別扱いなどなく、現地の言葉をきちんと話せることが求められる。膠原病科に初めて行った時も、ドイツに来たらドイツ語が話せなくちゃダメだ、と説教から始まったが、一事が万事こんな感じだ。そして、12月の漆黒の暗闇が続く時期は、ドイツに来た年のクリスマスに一人で病院で死産をした不安だらけの日、真っ暗な外を病室から見ていたことを思い出し、毎年鬱になることがパターンとして分かった。
そこで、カウンセラーがまとめてくれた。
「自分の意思でドイツに移った。ドイツでの生活は、家族と過ごせ望み通りのメリットはある。しかし、生活は想像以上にハードだった。可能であれば、気候の良い、英語圏や日本語圏の自分が言語的に精神的ストレスの少ないところへ移りたい。このことを自分に赦して言ってよい」。自分に赦していいということが初めて腑に落ちた。言っていいのだ、ということに気づいたのだ。私は自分で決めてドイツへ着いてきたのだから、文句は言ってはいけない、と思いこんでいて、それが勝手に恨みがましい気持ちになっていたのだ。今の気持ちを認めて、夫にも伝え、そして不平や不満をもう辞めよう、そう決めた。そしたら心が軽くなった。「ドイツに住みたくない!自分に無理して住み続けなくていいよ」そんな言葉を自分に言えるように初めてなった。そしたら背中に羽が生えたかのように心が軽くなった。視界が広がり、心は軽くなり、気づいた。全て自分の思い込みだったんじゃないかって。
さて、後はどうしたら、動かない体を赦し、受け入れるか? そして痛みは気にならなくなるのか?
整理して下さり、気づかせてくださった私の大好きなカウンセラーさん、ありがとうございます。まだまだ深堀していきます。


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