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舞台「虹のかけら」に見る「奇襲」の演出

「虹のかけら ~もうひとりのジュディ」の舞台を観てきました。三谷幸喜ファンとして、構成・演出に見つけた三谷幸喜の名前に惹かれてチケットを購入しました。

期待通りに三谷幸喜さん演出にしてやられた楽しい舞台でした。ネタバレありです。

構成・演出: 三谷幸喜
出演: 戸田恵子
劇場: 有楽町よみうりホール


ストーリー

きらびやかなドレスを身にまとった戸田恵子さんが登場し、本人として語り出すところから舞台は始まります。

本公演は、ニューヨークのカーネギーホールのワイル・リサイタル・ホール公演の凱旋公演という解説が語られました。それから、戸田恵子さんは毎年1回以上ニューヨークを訪れ、ブロードウェイの作品を何本も見ていること、ある時、カーネギーホール近くの本屋さんで1冊の本を見つけたことも語られました。

舞台の上に置かれた1冊の本を手に持ちながら、その本を夢中になって一晩で読み終えたこと、その本の内容を舞台で演じたいと三谷幸喜氏に台本作成を依頼したことを語ります。

その本は、実在のミュージカルスター、ジュディ・ガーランドの付き人だったジュディ・シルバーマンの日記。

ジュディ・シルバーマンの日記からジュディ・ガーランドに関する部分を抜き出して戸田恵子さんが朗読する形で物語が始まります。

映画「オズの魔法使い」のドロシー役のオーディションに応募したジュディ・ガーランドとジュディ・シルバーマン。オーディションに合格したのはジュディ・ガーランド。不合格になったジュディ・シルバーマンは、ジュディ・ガーランド(本名はフランシス・エセル・ガム)の付き人になり、最も近くでジュディ・ガーランドの一生を見続けることになります。

日記の中では、ジュディ・ガーランドのことをフランと呼びます。日記に書かれたフランの行動を読む時はジュディ・シルバーマンを演じた声で、フランのセリフを読む時はジュディ・ガーランドを演じた声で朗読されます。

「オズの魔法使い」出演以降、スターとして活躍したジュディ・ガーランドでしたが、薬物中毒と神経症により撮影への遅刻・欠席などで所属事務所を解雇されてしまいます。これを機にジュディ・シルバーマンは付き人を辞め、田舎の牧場主と結婚して穏やかで幸せな生活を送ります。

ジュディー・シルバーマンが付き人を辞めた後もフランからは折に触れて連絡が入り、ジュディ・シルバーマンの日記を通して、ジュディ・ガーランドの数奇な運命が語られます。

ジュディ・ガーランドは事務所を解雇されて女優としての活動を中断した後、歌手として活動を再開します。歌唱力を評価され、カーネギー・ホールでのコンサートではグラミー賞を受賞するほどに歌手として再びスターの座に返り咲きます。

ジュディ・ガーランドのスターとしての活躍はまたしても長く続きません。銀幕への復帰も果たしたにも関わらず、再び、薬物中毒と神経症が悪化します。そして、睡眠薬の過剰摂取により47歳の若さでこの世を去ります。

亡くなる直前にジュディ・ガーランドはジュディ・シルバーマンに電話をかけます。かけつけたジュディ・シルバーマンと意識が朦朧としたフランは最後の会話をかわします。

ジュディ・シルバーマンとジュディ・ガーランドの物語はここで終わります。

構成

出演者が戸田恵子さん一人だったので、てっきり一人芝居の舞台かと思っていましたが、実際はそうではありませんでした。舞台に立ったのは戸田恵子さんとピアノ、ドラム、ベースの3人の奏者。

戸田恵子さん本人の語りあり、朗読あり、歌あり、歌いながらの踊りありの構成でした。随所に3人の奏者による生演奏と戸田恵子さんの歌があり、その数は10曲以上(多分)にもなりました。

悲劇的なストーリーとは対照的な明るい歌が挿入される構成によって、重くなり過ぎない絶妙な塩梅で90分の舞台はテンポよく進みました。演劇でもない、朗読劇でもない、ミュージカルでもない。この舞台をどう呼べばいいのかという感想が渦巻く中で舞台は終わりを迎えました。

あて書き

三谷幸喜さんと言えば、あて書きすることで有名です。今回も戸田恵子さんのために書かれたあて書きの台本です。

今回はお芝居ではなく、朗読と歌が中心の舞台。歌が上手くて、朗読が上手くないと成立しません。それを見事に成立させたのは、女優であり、声優であり、歌手でもある戸田恵子さんだからこそだと、観終わってから思いました。まさに、あて書きのなせる技でした。

脚本がどんなに素晴らしくても、それを役者さんが演じきられなければ舞台は面白くなりません。役者さんにどんなに演技力があっても、脚本が面白くなければ舞台は面白くなりません。脚本と演者、そのどちらの才能が欠けても面白い舞台はつくれません。

あて書きは、役者さんの才能を最大限に活かして、なおかつ脚本としての面白さも追求するものです。脚本としての出来に集中するよりはるかに難易度が高いのがあて書きだと、この舞台で思い知ることになりました。

「奇襲」の演出

優れたあて書きの脚本だけにとどまらないのが三谷幸喜作品たる所以です。今回も物語の最後に待ち受けていたのは、「奇襲」の演出でした。

悲哀に満ちたジュディ・ガーランドの物語が終わったところで、三谷幸喜さんによるナレーションが流れます。

「ジュディ・ガーランドの物語は本当の話です。けれども、この物語には3つのウソがありました。
1つ目のウソは、ジュディ・シルバーマンは存在しないことです。
2つ目のウソは、ジュディ・シルバーマンの日記の本など存在しないことです。
3つ目のウソは、戸田恵子がジュディ・シルバーマンの日記を一晩で読んだなどあり得ないことです。戸田恵子にそんな英語力はありません」

3つのウソを明かすナレーションがひとつ流れるたびに、効果音とともに舞台に立っていた戸田恵子さんが崩れ落ち、最後は舞台に寝転んでしまいました。

えーーーーーーーーーっ。
ジュディ・ガーランドの物語もさることながら、その人生に欠かせない存在であったジュディ・シルバーマンの物語にも浸りきったところで、まさかのどんでん返し!

このナレーションを聞いた瞬間に、この舞台を見たかいがあったと思いました。なぜなら、私が三谷幸喜作品のファンである理由は、こんな「奇襲」の演出があるからです。こんな演出こそが三谷幸喜作品の魅力です。

ウソの種明かしを三谷幸喜さんがナレーションするという演出もシャレています。まるで戸田恵子さん自身もこの「奇襲」を受けたかのように舞台で崩れ落ちていく様が、観客の心象を表しているかのようでした。

架空の付き人を登場させる創作にしても、ジュディ・シルバーマンと名付けるとは、なんというネーミングのセンスでしょう。

舞台の最後は、再び戸田恵子さん本人のトークで締めくくられます。

「カーネギーホールのワイル・リサイタル・ホールの舞台に立った初めての日本人は誰だかわかりません。私ではないことは確かです。でも、カーネギーホールの舞台で寝転んだ日本人は私が初めてに違いありません

女優の戸田恵子さんにこのトークをさせるために、カーネギーホールの舞台で寝転ばせたのも三谷幸喜さんらしい演出です。

素晴らしい脚本を書いて演出できる人は数あれど、その人らしい個性は「奇襲」の演出にこそ表れる。「奇襲」の演出に観客は魅了される。そのことを思い知らされた舞台でした。


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