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16日目:"あざとい"か否かの境界線

テレビを見ていてふと疑問に思ったことを考えてみたら、今までの自分の経験や考えと繋がったという話です。(書いてるうちに話がブレブレになってきたので、構成を変更して、途中で出た話題は別の投稿として書くことにしました。)

"あざとい"とは

テレ朝の『あざとくて何が悪いの?』を、ほぼ毎週夫と(たまに息子も)見ている。

MCの御三方の喋りも面白いし、いろいろなVTRが流れて、その都度「そういう人いるよね〜!」「え〜そんなこと本当にあるの⁈」「うわ〜やな感じ〜」など感想を述べ合って楽しめるのが良い。

ただずっと気になってるのが、"あざとい"とそうでないのとの境界が曖昧なところ。

番組を見ていると、「これって"あざとい"発言なの?純粋にそう思っただけでは?」とか、「いやいや、こんな場面に遭遇したら、普通助けるでしょ!」「え、ちょっと待って!ただの親切じゃん!私もよくやるけど?」なんて思うことがたくさんある。

そもそも、"あざとい"って何?っと思って調べてみた。

【あざとい】①思慮が浅い。あさはかである。子供っぽい。②小利口で憎らしい。やりかたがあくどい。(コトバンクより引用)

なるほど、もともとの意味はこんな感じか。

ただ最近では、テレビの影響もあり、可愛いとか賢いとか優しいとか、デキる自分を演出するような言動を指しているのかなと感じている。

なんていうか、相手に好かれようと思ってるけどそれを悟らせないようにさりげなく振る舞うこと、みたいなイメージ?

じゃあ、私のモヤモヤポイントである"あざとい"か否かの境界線って、どこなんだろう??

なんて考えていたら急に、前に勤めていた職場でのある場面がブワッと頭に浮かんだ。

「ナオミさんって、そういうの得意なんだね。」

その時の職場には、わりと年配で肩書きのある男性職員さんがいたのだが、口先ばかりで全然仕事をしない+忘れたふりをしてそれに気づいた優しい他の職員にしれっとやってもらう+「本当に申し訳ない」「感謝感激」などと言いつつも全く改善する気がない、という仕事ぶりで、周りの人はほとほと困り果てていた。

そんな時、たまたまその方(業務上のリーダー)と私が一緒に仕事をする機会があった。そこで私が考えたのは、「どのように私が動いたら彼が仕事をしてくれるのか」「彼のやる気を引き出すにはどうしたら良いか」ということ。

*ちなみにこれは、前回書いた日記の応用行動分析(ABA)の考え方↓

具体的に私が行ったのは、「〇〇の業務ですが、×××みたいな感じで考えているのですがどうでしょうか?それとも何かすでに考えていたプランはありますか?」とお伺いを立て、OKをもらったら(だいたい誰かが何かやってくれるならやってもらおうみたいな人なので、基本ダメ出しはしない)、「それでは私はこれを担当するので、ここの部分は経験豊富なあなたにお願いしてもよろしいですか?」的な感じで、こちらから仕事を振るというもの。あとは定期的に進捗状況をやり取りして、やり遂げるまで目や手を離さない、みたいな感じww

私としては、「リーダーが先に動いて指示を出してくれたら助かるのにな」なんて思わないわけではもちろんないけれど、リーダーシュプを取るのが苦手ならしょうがないし、私がアクションを起こした方が上手くいくなら、それでまぁいいよね、という感覚。

ところがこのやりとりを見ていた女性の先輩職員さんからは、

「なんかすごいね。ナオミさんって、そういうの得意なんだね。」

とちょっと冷めた表情で言われ。。

ちなみにこの先輩は、過去に何度もその男性職員さんともめて言い合いなり、上司に「あの人、何とかしてください!」と文句を言いに言ったこともあるとのこと。

で、その時の私はどういう意味か分からず「??」の反応をしてしまったのだけど、あとで考えたら、その先輩には『後輩の職員が、男性職員さんをうまく扱って仕事をさせるという、自分にはできなかったことをしている』ように見えたのかなと。

いわゆる"あざとい"振る舞いと感じ、嫌な気分になったのかもしれない。

でもさ、ここで一番大事なのは、ちゃんと業務をこなすことだよね?しかも、どうせならお互い気持ちよく仕事ができたらもっとイイじゃん!

相手のダメなところを否定したり変えようとしたりしても、ただその人を傷つけるだけだし、怒りをぶつけても自分がスッキリするだけで、何も問題は解決しないよね?

もしもこの私の振る舞いが、相手に取り入って自分の評価を高めることや、嫌われないように自分をよく見せることが目的だったら、たしかに".あざとい"のかもしれない。

だがそうではなく、良い仕事をするというのが目的であって、それをスムーズに成し遂げるために、自分からアクションを起こすとか、相手を立てるとか、まめに声をかけたり感謝の言葉をかけたりするという手段があるんだよ!

『目的と手段を履き違えてはいけない』

と、こんなことを思い出していたら、私が普段大事にしている言葉?考え方?である、『目的と手段を履き違えてはいけない』に繋がったのだが、ちょっとここまでで十分文章が長すぎるので、この話は次回あらためて書くことにします💦💦

結論 : "あざとい"か否かの境界線は、目的の違い

前の職場での出来事からも分かるように、同じシチュエーション・同じ行動でも、行動する人の目的が違えば、"あざとく"も見えるし、そうでないようにも見えるということ。

たとえば目の前に、お財布から小銭を落として慌てている人がいたとして、シンプルに『困っている人がいたから助けたい』という気持ちで拾った場合はただの親切であるのに対し、『優しい人と思われたい』とか『拾ってあげる私ってステキでしょ?好きになっちゃうでしょ?』というような気持ちで、周りからの自分の評価を高めることを目的とした場合は、同じ行動にもかかわらず、自分大好きな感じだとかいやらしさが滲み出てしまうため、"あざとい"と見えるのではないか。 

他にも私の実体験でいうと、高いものを取ろうとしたけど届かなくて困っていたら背の高い人が助けてくれた、なんてことがよくあるのだが、届かないから「届かない」と言い、助けてもらったから普通に「ありがとう」と感謝しつつも、恥ずかしいところを見られたなという気もするから照れ笑いを浮かべたりするわけね。

そこを、"あざとい"エピソードに登場する方達の場合は、相手に好かれることや自分の可愛さをアピールすることが目的なので、「届かない」の発言は「小柄な私可愛いでしょ」の意味になるし、「ありがとう」の照れ笑いは、相手をキュンとさせるためのテクニックになってしまうんだな。

というわけで、"あざとい"か否かの分かれ目がわかってスッキリしました♪(私が)

それにしても、身の回りで起こるすべての出来事に対し、自分をよく見せるためにどうすべきか考えて反応するとか、周りからの評価をいちいち気にして生活するとか、めっちゃ大変ですよね⁈ よくもまぁそんなめんどくさいことをするもんだ。

もっとシンプルに考えた方が、生きるのが楽しいと思うんだけどな。

もしも"あざとい"の根っこにモテたいというのがあるとしたら、"あざとい"テクニックを磨いて自分をよく見せるよりも、相手の良いところを見つけて褒める習慣を身につけた方が、人間関係がうまくいくし、人に好かれると思う。マジで!ww

人に優しく、みんな平和にいきましょう!!

*次回は途中で少し出てきた『目的と手段を履き違えてはいけない』について書きたいと思います。