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「生きる」

「生きる」

 私が、わたしに問うた。

「ただ生きているのか」

「こだわりは無いのか」

 あの日、死のうと決めた。

 夏の終わりの生温い風が、頬をかすめる夜だった。

 私は、国道に架かる鉄橋の上に立ち、不安定にゆらゆらしていた。空も下も見ることはなく、真っ直ぐ彼方を見据えた瞳には、過去を振り返る力も、未来を予測する希望さえもなくなっていた。

 私は、両手を横にいっぱいに広げると、そのまま地上に向かって落ちて行った。落下途中でテレビ画面が消えるように暗くなりプツリと意識がなくなった。

 私はアスファルトに激突した。

 警察の話しによると、一台目の車が私を避けて走り去り、二台目も行ってしまった。三台目が停車し、中から若い男女が私に走りより、連絡をして救急車も手配してくれたそうだ。

 私は眠り続けた。

 医者や看護師たちが呼びかけても、家族や実家の両親が名前を叫んでも、何日もずっと目覚めなかった。

 深い夢の中にいた。

 大きな茶色い四角いチョコレートのような塊がゴロゴロ転がり、ポツポツと穴があいてゆく。よく見るとサイコロの様だった。
誰かが、私の人生ゲームを楽しんでいるように見えた。その人を見ると、うらなりのような顔をした自分だった。

「自分が私をもて遊んでいる」

 自分自身の命の糸が切れるまでの時間を、生き抜くか、挫折するかは、己の意思が決めるという事に気付いた瞬間だった。

 私は目覚めた。

「この時に生まれ変わった、自分を愛している」

 意識が戻ったと同時に身体中に激痛が走った。脚の骨は砕け散り、右腕は変形していた。額は骨折で陥没して、キリキリと痛む。激しいショックで、昼夜、幻に怯える。何度も繰り返される手術。術後の、酷い喉の乾き。全く動けないので、院内の寒暖差についてゆけなかった。寒さにブルブル震え、耐えなければならない夜。昼間の砂漠のような乾いた暑さに歪む顔や唇。

「生き地獄だ」

  人間は、朝も、昼も、夜も、生きているのだ。

 オムツをされ、垂れ流しの私の汚物を、嫌な顔をして拭き取る看護師もいた。クレーンの様な機械に吊るされ、湯に入れられる。酷い扱いをする者もいれば、優しく洗ってくれる人もいた。自分が何をされるか、解らない不安と恐怖。意識だけが自由な身体は、世話をしてくれる人間の、心や機嫌に委ねられている。

「酷い飼い主に怯える犬のようだな」

 手術が順調だと、リハビリも進んでくるが、身体を突き抜けるような痛みに耐えなくてはならない。鎮痛剤を打ちながら続ける。幻影ばかり見るので、神経科の薬を飲まされる。まやかしを見ない代わりに、動きが鈍くなり、治療が止まる。薬療を減らされると、途端に恐怖の夢を昼夜に渡り見てしまい怯える。

 そうやって、私は半年以上を過ごした。

 天井ばかりを見ていた。

 床ずれだらけで、皮膚はうじゃけていた。

 退院する時に、医師から告げられた。走れない、しゃがめない、膝を揃えて座れない、階段の昇り降りが出来ない、自転車に乗れない·····

 私は、絶望しなかった。

「私は生きている」

「ただ、生きているのではない」

「私は、わたしでなければ出来ないことをする」

「こだわりの人生をゆくのだ」

 私は、10年以上リハビリを続けた。今では、走ること以外は、ほとんど出来るようになった。

 私は、わたしの生き様を皆に伝えたいのだ。それを、生かしたいのだ。だから、こうして書いているのだ。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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