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「学びを止めない」

コロナで休校になった時に、「学びを止めない」という言葉が流行った。

「流行った」と言ってしまうと身も蓋もないのだけど、「学びを止めない」ってなんだかかっこいいし、学校の存在意義が示されているように聞こえて、色々な学校で好んで使われていた言葉だと思う。

「学びを止めない」ってとても大切なことだと思う。「学び続ける」とも言えるかな。


でも、この時学校で使っていた「学びを止めない」は、つまるところ「授業を滞りなく進める」という意味だった。

年度末までに、その学年で学ぶべきこと、つまり教科書の内容に全て触れるということ。

授業の時間数は少なくなってしまったけれど、学習指導要領で定められた学習内容については全てやりましたよ、と言える状態にしておくこと。

足りない時間を補うために、私たちはワークシートを作った。そこに埋めていけば、正しい知識が要領よく身につくように。

オンラインが始まったら、教室での授業をそのまま配信して、家でも見られるようにした。画面に黒板を映し、家でも教室と同じように、ノートに板書の内容を写せるように。


「学びを止めない」という言葉と、実際にやっていることがとても遠い気がして、これでいいのかなと迷いはあったけれど、とにかく目の前のことをやるしかない。そんな思いで、ワークシートを作り、時々は画面の向こうに話しかけ、家でやったワークシートを提出させては、丸つけをした。


家に帰れば、中学生と小学校高学年の息子たちがきちんと家での課題をやっているのか確認した。

学校のホームページにアクセスして、今日は教科書何ページの何をやればいいのかを確かめて、やってあるかどうかチェックする。

「教科書〇ページの〇行目から〇行目までを写しなさい。」とか、先生が丁寧に作った手書きのノートのPDFファイルを開き、それをノートに写す。理科の実験なんて、実験していなくても、実験結果を写していた。


「学びってなんだろうなあ。」と思ったけれど、目の前のことに追われて、
どんどん時は過ぎていく。

中学生の長男は、生真面目に課題の全てを丁寧にやろうとして、途中でパンクし、止めてしまった。「少しでもやったら?」と言っても、「めんどくさい。」その結果、1学期の成績がひどいことになっていた。

小学生の次男は、途中で「こんなの全部やるの無理!」と、途中から間引きながらやっていた。

これは、長男は学びを止めて、次男は止めていないということになるのか・・・


学ぶことって、本当に大事なことだなあと、十分に大人になりすぎた今になって、心からそう思う。

幼いころの長男は、びっくりするくらいいろいろなことに興味があり、興味があることに寝る間も惜しんで集中して、途中で意識を失うようにしてばたりと倒れて眠ってしまうほど、好奇心旺盛な子だった。

「寝ちゃうと明日になっちゃうから寝たくない。」とよく言っていた。


それが、「めんどくさい。」となってしまう教育ってなんなんだろうなあと、教育に20年も携わりながら考えています。






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