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フィリピンの大学に進学し、フリーランスになり、事業立ち上げ・運営を経て、次のステップへ。

日本の大学を辞めてフィリピン・マニラの大学に編入することを決意し、1人でフィリピンへ飛び立ってから、約6年。

なんちゃってフリーランスとしてここ数年活動してきましたが、遅くても2021年2月までには新しい就職先を見つけようと心に決めました。


普段、言語化を避けるタイプの人間ですが、ここ数年の自分の振り返りも兼ねて、今自分が思っていることを記録しておきたく、初めてnoteに書いてみようと思います。

文章苦手やし、まとまりはおそらくありませんのでご注意ください。


そもそもなぜ、僕がフィリピンに行ったのか、フィリピンに行ってどういう活動をしていたのかは、下記インタビュー記事にて簡単に理解してもらえたら嬉しいです。

https://kaigaisyusyoku.com/?p=12704


この約6年を振り返ると、僕はこんなことをしてきました。

・TOEIC350点で日本の大学を辞め、フィリピンに飛び込み、マニラの大学に入学
・個人のYouTubeチャンネルを開設しフィリピンの情報発信 
・e-studentにて記事執筆、大学留学事業の運営
・Berlitzフィリピンにて日本語講師
・人材派遣会社にて、日本語講師&フィリピン人講師の育成・マネジメント
・マニラの魅力を伝えるガイドブック「マニラブ 」を5000部発刊 (クラファン200万円調達)
・ツーリズエクスポ2019@大阪のフィリピンブースにステージ登壇
・大手カジノの動画制作&SNSプロモーティング
・日本企業のフィリピン出張時のアテンド&通訳
・新規事業立ち上げ&運営、クリエイティブ全般担当、オンラインコミュニティ立ち上げ&運営、フィリピンの語学学校約30校を取材し、そのうちの半数の学校の動画制作

などなど。

恵まれまくった人のつながりで、マニラを拠点にいろんなことに携わらせていただきました。

でも、ただの田舎出身の野球馬鹿にはちょっと刺激が強すぎたというか、調子に乗っていたのかもしれません。

フィリピンにいるまでは、「これで生きていける。」と正直思ってました。このままどこの会社にも属さず、いろんな人と関わる中で自然とスキルが身に付くだろうと。このまま必要とされる存在で入れるだろうと。こんな感じでフリーランスでいれるだろうと。

しかし、コロナの影響でマニラのロックダウンが収まらず、止むを得ず、約6年のフィリピン生活に一旦別れを告げて、8月後半に日本に戻ってくると、いろいろな感情が芽生えました。

第一に感じたのが、「お金がない」
フィリピンではある程度な生活ができていたつもりではあったが、今の収入のままでは生活保護を受けた方がいいんじゃない?と思うくらい、24歳の僕にはキツかったです。ありがたいことに、まだ親の扶養に入っていたため、どうにかなっていたものの。
別にお金なんか最低限あればいいから、好きなことをしていたい とずっと思っていたけど、お金がないことで起こる精神的ストレス、物理的にできることが少なくなるストレスが積み重なり、生きている心地がしない日々が続きました。このままでは、自分も、家族も、恋人も、友達も、誰も幸せにできない、と。

次に、「スキルがない」
今までいろんなことに携わり、事業の立ち上げをして運営もして、0→1 そしてその1をどのように増やしていくか。の部分はこれまでの活動で学んできました。が、蓋を開けてみると、自分がやっていたことはとてもレベルが低いことを、日本にきて、いわゆる周りのできる人たちを見たり、テレビや他のサービスを見て、実感しました。
思えば、クリエイティブ関連は会社で任されていたものの、特にデザインの勉強をしてきたわけでもないし、誰かが見ると言うのを意識して作るというよりかは、自分がいけてると思うものを作るという思いだけで、いろんなものを作っていたが、それはただの自己満で終わる。それはそれでいいが、それなら僕は芸術家になりたいということになるやん という。それはそれで面白いし、本来ならそうありたいんですけどね。物事をなんでもロジックで考えるの好きじゃないから。

レベルが低いというよりかは、勉強不足というか、向上心が足りなかったというか、中途半端なんですよね、全部。
結局僕は1人では何もできない状態であることに、途方もない感じがして、
じゃあ勉強すればいいんですが、割と今関わっている会社にフルコミットしていたので勉強する時間もなく。

まあ勉強する時間がないというのは単なる言い訳でしょうね。でも、昔から環境に左右されるタイプなので、
もうここまでくると環境を変えないと僕は成長できないのではないか と考えるようになりました。

次に、「覚悟がない、甘えている、依存している」
初めてあの人と話したあの衝撃、初めてあの人に会って会社の構想を聞いたときの鳥肌感。この2人がいる会社なら、自分がフワフワ感じていた世の中への違和感に対して、上手にアプローチができる。そのアウトプットの場所がある。とワクワクしながらジョインすることを決めました。

しかし、コロナの影響でいい軌道に乗りかけていた会社もかなり打撃を受け、その中でもみんなで一丸となって進んできましたが、日本に帰ってきて上記のことが原因で気持ちが不安定になりはじめ、やりたいこともよくわからなくなって来た時に、自分は自分の人生に対して覚悟が足りないなと実感しました。

今まで人に恵まれていたことに常に感謝する気持ちを持とうと思っていたが、きっとそこには常に甘えもあった気がします。「自分でどうにかする」という気持ちではなく、「周りの人がどうにかしてくれる」という感じというか。今の会社で一緒にやっていくんだ と覚悟を決めたつもりではあったが、この状況になり、自分の芯がブレ始めたということは、そういうことだと。

マニラブをきっかけに仲良くなった人、代表、会った頃からフィーリングがあいまくる人、とにかく頑張り続ける人。僕が上から目線で何か言えたことではないが、各々がしっかりパフォーマンスできればすごくいいチームになれると思います。が、僕はその居心地のいい場所に依存していただけなのかもしれません。


そして一番は、「新しい場所での自分にワクワクする」

他の会社に属する なんて数ヶ月前までは1ミリも考えていなかったのに、こういう精神状態になった今新しい場所で自分を試せると思うと、すごくワクワクする自分がいたんです。今の会社のことよりも、次のステージでの自分にワクワクしてしまった。こんな状態で関わっていくのはとても失礼だと感じました。


こんな感じですかね。
とりあえず、あえて言語化するなら上記のことが理由で、転職を決めました。

でも、じゃあ、なおは結局何がしたいの?やりたいことは何?と聞かれると、いまだに僕は何がしたいかはわかりません。

もちろん、アメリカに行きたい、ヨーロッパに行きたい、日本一周したい、キャンピングカーが欲しい、映像・写真が上手くなりたい、デザインができるようになりたい、イケてるものや場所を作りたい、ほのぼの暮らしたい、とかなんかそういうのはあるんですが、仕事において何がしたいかと言われるといつも困ってしまいます。

逆にそれが明確な同世代の人たちは、すごいと思いつつ、「どういうこと???」って思ってしまうのも事実。この若さで、人生においてやりたいことが明確とかまじかよ、、周りと合わせてるだけじゃない?って思ってしまう節もあります。この辺りはあまり言語化できないのですが悪口ではありません笑。本当に、そこまで考えながら生きている人を尊敬します。

どうなりたいかと言われたら、かっこいい人でありたいと思いつつ、
じゃあどういう人がかっこいいの?と聞かれると、うーん…となってしまう。ぼやぼやしたイメージはあるんですけどね。いざ聞かれると困るんですよね。

まあ、前者の問いにも言えることだけど、結局いままで自分の人生について思考してないだけなのかなとも思います。

僕は今までその場その場でやりたいと思ったことをやって来て、あんまり将来のことを考えてきたことはなかったので、もう少し過去から自分を見つめ直して、どういう道に進みたいかはしっかり考えようと思います。

はい、ということで、なんか思っていることをダラダラと書いてみました。

フィリピンに行くという決断をしてから6年。いろんなことがあって、いろんな人に会って、いろんなことを学びました。

ありがたいことに、大好きなフィリピンの情報発信にも関われて、フリーランスとして数年活動できて、1つの会社でいろいろなアウトプットをさせてもらって、本当に本当に貴重な経験ができたと思います。

次のステージが、WEB制作なのか、映像なのか、メディアなのか、コミュニティなのか、場作りなのか、地域創生なのか、全くクリエイティブとは関係ないものなのか、どんくらいの規模でどういう雰囲気の会社なのか、はたまたやはりフリーランスなのか、

まだ全然何も決まってないですが、いろんな人と会話して、自問自答していく中で、常に周りの人への感謝の心は忘れずに、好きな人と好きな場所で、かっこいいものを作って、それが誰かのためになって、かっこいいと言われる存在になれるように、少しずつ進んでみようと思います。

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