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奈良にめざめる⑤薬師寺・唐招提寺

奈良を歩くと、しばしば記念石碑を目にします。
"世界遺産"の碑で、見かけるたびに「あぁ、世界遺産の建物にきてるんだなぁ。」と、いちいち素直に感動してしまうのですが、"奈良"は日本で初めて世界遺産登録された都市のひとつでもあるんですね。

世界遺産碑
世界遺産碑。
石質や形はまちまちだが、けっこう大きい。

国連ユネスコで"世界遺産条約"が採択されたのが1972年。その約20年後、1993年に日本からはじめて登録された"文化遺産"のひとつが、奈良の「法隆寺地域の仏教建築物」でした。
その後、1998年には「古都奈良の文化財」も文化遺産として登録されています。

それぞれの構成資産は、

「法隆寺地域の仏教建築物」
・法隆寺・法起寺

「古都奈良の文化財」
・東大寺・興福寺・春日大社・春日山原始林
・元興寺・薬師寺・唐招提寺・平城宮跡

となっています。

構成資産たちの多くが
「あ、実際行ったことあるー!」と身近に感じられるようになりました。
これはとても嬉しい感覚で、なぜか誇らしい気持ちにもなれちゃうし、なぜか勉強意欲もかきたてられてリーフレットも熟読しちゃうし。
なぞの"仲間意識"がはたらいて、歴史の一員になれたような気になっちゃうのです。
"奈良メンバー"に入れてもらったような。

ちなみに2004年には奈良の吉野地域を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録されているのですが、僕が"奈良メンバー"としてこの地域を訪れるのは、もう少し先のことになります。

さて、バスと電車を乗り継ぎ「西ノ京」駅へ。
世界遺産のひとつ、"薬師寺"へやって来ました。

薬師寺
北側の入り口となる薬師寺與樂門ようらくもん
仁王像の立つのは中門。

薬師寺も非常に歴史のあるお寺ですが、ほかの多くの寺院と同じように一時期荒廃していたり、何度も焼失したりといった憂き目にあっています。
その伽藍が大々的に復興されたのは、大きく時代をくだって昭和〜平成期のこと。

奈良の薬師寺は檀家制度を持たないので、資金集めのために当時の管主・高田好胤たかだこういん師が先導する形で写経勧進という方法が取られたそうです。
納経代は一巻1000円で、目標は100万巻。10億円です。

はじめは周囲から"不可能"と目されていたようですが、努力に努力を重ねて1976年には無事に目標を達成し、同年にはまず金堂が再建されるに至りました。

薬師寺
薬師寺の象徴の西塔さいとう東塔とうとう
国宝指定の黒い東塔の方は創建当時のもの。

"白鳳伽藍はくほうがらん"を現代に蘇らせたこの壮大なプロジェクトは、その後も次々と再建が進み、2017年の食堂じきどうの落慶でほぼ完成となります。

約40年間、アツい想いを傾けつづけた僧侶たちの物語は歴史上の話ではなく現代のお話です。
1300年の歴史を未来へと繋いだエピソードの数々は感動的で、"いま"に息づく仏教の姿をこの復活した"白鳳伽藍"から感じとることができます。

薬師寺
蘇った白鳳伽藍の建造物たち。
薬師寺
東塔と金堂。
どちらも特徴的な裳階もこしを持つ。

つづいて薬師寺を出て北へ。
10分くらい歩いていくと現れるのは、こちらも世界遺産のひとつ「唐招提寺」。
かつての都・平城京の右京エリアにあたり、ごく近い距離に薬師寺と唐招提寺の二寺が所在します。

前述の復興活動により整えられた薬師寺とは対照的に、閑静で苔むした空間に"奈良時代"が佇んでいます。

唐招提寺
唐招提寺・南大門と掲げられた扁額の複製。
そして世界遺産の碑。

あの鑑真和上が開き、晩年を過ごした寺がこの唐招提寺。

日本の僧侶、栄叡ようえい普照ふしょうのふたりが733年に遣唐使として渡り唐の鑑真と出会うまでが約10年、そこからさらに12年をかけて6度目のチャレンジにして来日を果たしています。
その間、幾度も暴風雨にさらされ船が遭難したり、ふたりが海賊の濡れ衣を着せられたり、栄叡は投獄のすえ脱獄を果たしたり、鑑真は両眼を失明し、栄叡はついに亡くなり、その最期を看取ったのは固い絆で結ばれた親友の普照でした。

壮絶すぎる、、!!

そんな波乱万丈を背負っているとは微塵も感じさせずに、ただ静寂と緑がそよぐ、やさしい時間がそこにはありました。

唐招提寺
南大門をくぐると正面に立つ金堂。
周囲には緑の絨毯を敷いたような光景が広がる。

伽藍内で、大きな建物となるのは金堂と講堂。
創建時の奈良時代の姿を残し、色褪せながらも堂々と力強い存在感です。
奈良時代に建立された金堂としては、この唐招提寺のものが唯一現存する貴重な建築物だそうです。

中に入ると、同時代の仏像の数々を拝することができます。
仏像。見分け方も楽しみ方もまったく分からないまま、というか意識もしないまま奈良へとやってきましたが、ここ数日さまざまな作品を目にすることで、何かしらを感じ取るようになった自分がいます。

仏教的な意味付けとはまた別に、道具や技術が発展上達していくのとともに芸術として表現の幅もどんどん広がっていったのだろうと思います。
素朴で親しみやすいものからパワフルで情熱的なもの、流麗優美なものへ。そして角が取れて再び親しみを取り戻すような。時代がくだるとともにそんな流れを感じました。
仏像デザインにも流行があり、羨望と尊敬の眼を向けられるスター仏師も居たんだろうなー。
そして多くが変わり者で近寄りがたかったのだろうな、と想像がふくらみます。

唐招提寺
平城宮・東朝集殿ひがしちょうしゅうでんを移築した講堂と、校倉造の宝蔵。
校倉造、良いよね。

たまたまタイミングが良かったのか、もしくは穴場だったのか、唐招提寺では観光する人が少なくて、気兼ねなくじっくり見てまわることができました。

唐招提寺
授戒のための戒壇。
伽藍内は緑が多く、特に美しい苔たちが印象的。

この唐招提寺が、こんかいの奈良旅で訪れた最後のスポットとなりました。

感動を胸に、ここ3日間を振り返りながら早くもつぎに巡りたい"奈良"を思い浮かべ、バスを待ちます。
良い旅だった。
2泊3日の奈良旅は、知的好奇心と情緒をはげしく刺激して、僕のなかに大きな存在感を残しました。

撮りに撮ったたくさんの写真たちを見返したり、GoogleMapを開いてみたり。

とかやってると時間が過ぎるのも早いものですが、あれ。時刻になってもバスが来ない。
待つか。それとも歩くか。

というわけで少し考えましたが、目の前のバス停を離れ、大通りまで歩いて別のバスに乗ることにしました。シメの散歩を楽しみます。
"三条大路五丁目"バス停まで約20分。景色は寺院でも街並みでもなく、田んぼがメインです。

唐招提寺
畦道にポツンとあらわれた碑。
寂しさをさそう立ち姿。

近鉄奈良駅でお土産を買い、特急に乗って京都へ。
来たときと同じ"ぷらっとこだま"で東京へ帰ります。

古都・奈良。
日本という国の歴史がはじまった、そのスタート地点に実際に立ち、触れて、現代と地続きな1300年の歴史の風を感じることができました。

旅は良いですね。

新幹線の車内で"柿の葉すし"を頬張りつつ写真の整理をします。
"奈良メンバー"として訪れた先々で撮りためた写真は、1300枚にものぼりました。

丸山直己

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