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神社システム・一宮をめぐる

僕は「旅に出よう!」と思うのが先で、行き先はその後決めることが多いです。

北のほう。とか、関西。とか。
ざっくり決まったら、Googleマップ。ぼんやりと拡大、縮小、を繰り返すうちに、なんとなく「今回は◯◯県行こうかな〜。」となってくるんですね。

そして具体的に"行きたいとこ"が決まっていくわけですが、"神社"が候補にあがることも多いです。

神社って、なんか良いですよねぇ。

森があることが多いので落ち着くというのもありますし、全国に8万箇所以上ともいわれる大展開をみせる宗教施設のわりにとても敷居が低いというか、けっこう"雑"な部分があって親しみやすい、というのも良いところです。

「特に好きでも嫌いでも無いけど、とりあえず初詣は行く。」という人もきっと多いですよね。

教祖もいないし、教義も無い。でも神社はある。
参拝作法も決まってるようで決まってなかったり。"信仰"とはちょっと違うかもしれないけど、とっても"日常感"がある存在が、神社。

東京・杉並の馬橋稲荷神社。
鳥居に龍が巻き付いている。
ぼくが以前、住んでいたとこから近い。

現代の感覚からすると「設定が雑!」と感じられるところも多くて、そこもまた魅力的です。
祀られてる神さまたちもバラエティ豊かすぎで、記紀神話に登場する神さまだったり、登場しない神さまだったり、天皇だったり、怨霊だったり、雀士だったり、、、ちょっとしたカオスです。
それと"分祀"というシステムで、神さまたちは無限に分裂できたり。
こういう"雑さ"のおかげで想像を広げる余地がたくさんあります。

長い歴史の中で当時の人びとの必要に応えていった結果、ごちゃ混ぜだけど目立ち過ぎない、いまの絶妙なポジションに落ち着いたんだなぁ。
好きですね、神社。

とてつもなく立派なものから、素朴を通り越してもしやこれは"粗末"、、??と感じてしまうようなものまで、神社の数は本当に膨大な数に上ります。
把握できているだけでも8万箇所以上、らしいですから、「神社好きー!」となるまでは良いとしても、うっかり「全部の神社まわるぞー!」なんて気合い入っちゃったりしたら、一生を神社めぐりに捧げることになりそうです。
うーん、、それは嫌かもしれない。

全部は無理でも、なんか良さげな神社をめぐる"手掛かり"は無いのかというと、もちろんあります。
そのひとつが全国「一宮いちのみやシステム」。

古代律令制のもとに日本全国が区分された、「旧国」制度。例えば、いまでいう東京や埼玉のあたりが「武蔵国むさしのくに」、神奈川あたりは「相模国さがみのくに」とか呼ばれていた、あの制度です。
68国あったらしい旧国それぞれで、「一宮」を指定して、その国でいちばん格上の神社と定めたようなんですね。

これは分かりやすい。
この「一宮」なら68箇所のはずですから、全部まわろう、というのも現実的。射程範囲です。

ところが、このシステムでも例の"雑さ"が発揮されてまして、国によっては「一宮」が幾つもあったりします。
何だそれ!

こんな神社システムが魅力的すぎて、旅先では「一宮参り」をするのがお約束になりました。

伊豆国いずのくに一宮・三嶋大社。
天然記念物のキンモクセイがあります。
常陸国ひたちのくに一宮・鹿島神宮。
鹿がいます。
武蔵国むさしのくに一宮・大宮氷川神社。
参道が長い。
もうひとつの武蔵国一宮・小野神社。
水がきれいです。

この国の土着の宗教といえる「神道」の原型、というか「神さまに感謝するやり方」みたいなものは非常に素朴なもので、多くは自然そのもの、山だったり岩だったりを祀る、崇めるという程度だったようですね。
そもそも"神さま"の在りかた自体もぜんぜん厳かではなかったかもしれない。
目には見えないけど、神さまたちと一緒にお酒も飲んじゃう、みたいな。自分たちの存在の延長で考えてたというか「ちょっと長生きで超能力つかえる友だち」みたいな感覚というか。
"恐怖"の対象ではなかったようにも思えますね。

で、神社というのも、もともと建物は無かった。
"友だち"と飲むのに洒落た場所は必要ねぇ、ってことでしょうか。むき出しだったようです。

そこへ"仏教"という超絶ハイカラなものが輸入されてきて、「超クール!」と思ったのか「むき出し恥ずかしい」と思ったのかは分かりませんが、ともかく「ヤバい」となって立派な社殿を建てるようになった。
のかもしれない。

ミステリアスな神社に想像力を刺激されて、また各地の一宮へ。
全国制覇も目的のひとつにしつつ、また旅に出ます。

丸山直己

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