娘が"友だちの怪我の話"を学校のクラスで話したら...
こんにちは!昨日、娘の日本人のお友だちの兄弟が、うちに来る途中、自転車で怪我をするということがありました。
とりあえず、家へ招き入れ怪我をした部分の処置をしたのですが、とても痛そうな様子でした。かなり腫れている様子だったので、お母さんはお子さんを連れて病院へ急いだのでした。
骨の異常はなく一安心!
その後の連絡で骨まで異常はなかったそうなのですが、娘はその後もずっと心配そうにしていました。
「大丈夫かなぁ」「歩けるようになるかな」
「お風呂痛いんちゃうかな…」「めっちゃ泣いてたね…」
お医者さんごっこが好きな娘。将来は看護師になることを1つの夢として考えているそうですが、本物の怪我を見るのはちょっと苦手そうだったな…笑
今日、その話を自分のクラスでしたそうで
そして今日、学校へお迎えに行くと娘が大量の紙の塊を腕に抱えて校舎から出てきました。
「あぁ、引き出しに貯めていたプリントのお持ち帰りですか…」
と思っていたら、こちらに向かって走ってきて、
「これ、◯◯のために友だちが描(書)いてくれた!!」
と叫びながら渡してくれたのでした。
何のことやらわからない私。
いや、だって昨日のことをあなたのクラスメイトが知る由がない。笑
…そう思っていたのですが、しばらくすると担任がこちらへ来て、
「今日、お友だちの話を◯◯(娘)がクラスでしてくれました。クラスの子どもたちがその子のために色々作ってくれたみたいです😊✨早くよくなるといいですね!」
と言ってくれたのでした。
その後、よくよく娘に話を聞いてみると、昨日の出来事を今日の朝の会で、
「昨日、私の日本人のお友だちがね…」
と話をしたそうです。
そうすると、どういった流れだったのか、クラスメイトたちが怪我をした友だちのために「元気になってね!」と、お見舞いクラフトを作ってくれたのだとか…!
家に帰ると、娘は一つ一つの作品を見ながら、
「これは◯◯からね、それからこれは◯◯が作ったよ。それでこれは…」
と一つひとつの作品が誰からのものか教えてくれました。
「あなたの痛みは私の痛み」「あなたの喜びは私の喜び」
この国にきてからこういった経験をしたのは1度ではありません。
まさに、人の痛みや喜びを"自分のこと"のように感じてくれる人たちに多く出会ってきました。
1つ、実際にオランダでお子さんを育てているママの話があります。
そのママの子どもが通うクラスの子の保護者が、不慮の事故で亡くなった時のこと。
何とそのクラスの保護者複数名が「私がその子を今後預かって育てます」と名乗りをあげたそうです。
「困っている人(子)を助ける」そのために、とにかく行動することから始める人たちがいるのです。
また、ウクライナからの難民が増えているオランダでは、難民を自宅に迎え入れている人もいるそうです。
「困っているんだから放ってはおけない」
「部屋が余っているから、しばらくは身を寄せてもらっていい」
何かの協会を通して難民を受け入れる人もいれば、知り合いの知り合いを受け入れるような世帯もあるようです。
もちろんこれはそんなに多いケースではないでしょう。
それでも、そこまでの行動力がある人たちが耳に入ってくるくらいの距離にいることに、ただただ驚きました。
「与えてもらった喜びは、次の人へ与えてあげてね」
私もオランダへ母子で移住した当初、家の家具を揃えるのに近所の人たちが利用するFacebookの掲示板で家具を譲ってもらったことが何度かありました。
ある男性から何種類かの家具を買い取った時、実際の約束では運搬をしてもらうだけだったのですが、彼は私と娘が2人で暮らしていることを知って、家具の解体から運搬、そして組み立てまで行ってくれたことがありました。
あまりにも申し訳なくて、「ありがとうございます」と繰り返す私に彼は、
「オランダではね、こんな考えを大切にしている人たちがいるんだ」
「自分が与えてもらった喜びや恩は、次の人に与えてあげてねって。だから、僕が今こうやってやっているのは、僕もまた誰かに助けてもらったから。これ以上僕にお礼を言う必要はないよ!次の人につなげてくれれば!」
と言ってくれました。
心を育てる、人を育てる
娘の小学校では「誰かの心に寄り添う」ということをとても大切にしてくれているように思います。クラスに20人もいれば、誰かの祖父母が亡くなったり、誰かのお家に新しい命が生まれたり…そんなライフイベントがいくつもあるでしょう。
クラスの誰かに兄弟(姉妹)が生まれると、それを担任に伝える保護者もいます。そして、クラスみんなでそれを祝うのです。娘のクラスでは前任の担任が産休育休に入りました。その時も子どもたちは手紙を書き、赤ちゃんが生まれたという知らせは写真とともに保護者にもシェアされました。もちろん子どもたちも赤ちゃんが生まれたといことを今の担任から聞かされ、手紙を書いています。
そして私たち保護者はお金を集めて、彼女にプレゼントを贈りました。
「誰かの幸せ」は「私たちの幸せ」なのです。
娘の小学校の保護者には、多少オランダ語の時間を削ってでも、計算の時間を削ってでも、「誰かを想うための時間」を優先しても良いと考えて人が多いように思います。
学力だってもちろん大切ですが、学校は心を育て、人を育てる場であってほしい。
エピソードをシェアしてくれた娘に、
そして見ず知らずの子の怪我を心配してくれた子どもたちに、
そしてそれを温かく見守ってくれた先生に心から感謝しています。
私たちの活動内容に賛同いただける方々からのサポートをお待ちしています。ご協力いただいたサポートは、インタビューさせていただいた方々へのお礼や、交通費等として使わせていただきます。よろしくお願いいたします!