光から生まれ、光に還っていく、その間の生きている、生命体の光を、そのままに



昨日、死後に 還っていく、光の事を書いた。

少し前に、私たちが生まれて来た瞬間の光の事も書いた。

そして、今、私たちが 肉体を持って生きている、生と死の間の期間が ここにある。


最初と最後が光ならば、その間の、生きている間の 生命というエネルギーも、光であるはずだ。

赤ちゃんは、生まれた時、輝いていて、小さな子供も、光に包まれて、真実を生きている。


そこに、大人たちの、思い、家系のしきたり、社会の価値観、いろんな 思惑が、思い=重い  

重しとなって、その子供に 付着していく。 

ペタペタ。  ペタペタ。

年月をかけて、 どんどん、重い服を 知らぬ間に着せられて、大人になっていく。


本人が気づく頃には、子供の頃 の自分と、全く違った人の顔が 鏡に写って いるかもしれない。


毎日、お寺の修行の基本が 作務である事も 頷ける。 


毎日、自分の心に積もっていく、塵を払っていく作業。 そこに本当の自分と出会う、過程があり、その次に個を超えて、場=(スペース)と 一体になっていく、境地につながっていく。


もともと頂いた、光を、いかに、保持して生きていくか。
 

それが 真の自由な生き方であり、自分に付着した、自分でないものを、脱いでいく過程こそ、真の意味で、自分を生きる という意味であると思う。

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