一杯、一杯に 愛情を注いで コーヒーを淹れる、日本の禅スピリットは、今も生きている



スピリット昨日のブログで、丁寧に 感謝をしたお水を飲む、ということを 書いて、 思い出したのが、私の故郷、神戸にある、

コーヒー専門店、ダンケのマスター。


帰国のたびに、訪れる、お店で、 ご夫婦で経営されている。  ここの、マスターオリジナルの、バターブレンドは絶品で、


6年くらい 帰国していないので、今は、本当に 懐かしい味だ。

マスターは、心から、コーヒーを愛している方で、 焙煎から、コーヒーを 注ぐところまで、本当に愛情を注いで、淹れてらっしゃる。

ある時、カウンター内の、マスターの動きを、じっと見つめていたのだが、 カップにお湯を注いだ後、手を、カップにかざし

て、祈りを捧げているような 時間を見た。

ちょうど、霊気を送っているような 所作だったので、 奥様に 「マスターは、お祈りされてるのですか?」 と聞いてみた。


すると、彼女は、「本当に、コーヒーが好きなんですよ。自分の子供のように、可愛くてしょうがないみたいです」 とおっし

ゃった。

私は、その言葉に、感動して、日本人に生まれたことを 誇りに思えた瞬間でもあった。


茶道という、一期一会の、文化が 日本にあり、 


世界中が 興味を持っている、禅のスピリットも、日本にはいまだ こうして、息づい


ている。

禅の言葉に、喫茶去 (きっさこ) という言葉がある。


身分の高いもの、そうでないもの、老若男女、 どんな人が お店を訪れても、 「喫茶去」


「まあ、とにかく、お茶を召し上がれ」


と、店主は、お客をもてなす。 


どんな人の魂をも、公平に もてなす、という、禅の 教えの、一つのエピソードである。

世界中が 世知辛い、時間に追われている 昨今であるが、 私たちの生まれた、国には、見えない世界を 尊ぶ、

文化と精神が 昔から 在ったことを 忘れてはいけないと思う。


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