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大学進学コースは子どもの選択肢を広げる?オランダも塾が盛況

昨年の年末、13歳の息子の友達のIくんが泊まりにきた。ロックダウン中で外はどんより。2人はゲームを楽しんだり、ネットフリックスで映画を見たりしながら、夜遅くまで起きていた。次の日は昼頃までだらだらして、朝とも昼ともつかない食事をしてから「お開き」なんだろうな、と思っていたら、その友達は「明日は朝11時から塾があるんです。だから10時半過ぎにはここを出ないと……」と、言った。

次の日、息子は友達に合わせてしぶしぶ起きてきた。眠い目をこすりながら、二人とも朝食を済ませ、Iくんは教材がたくさん入ったバックパックを背負って「ありがとうございました。よいお年を!」と言って、自転車で去っていった。息子はパジャマのままで友達を送り出すと、また布団にもどってダラダラしていた。

その日は大晦日。巷では、夜を待ちきれない人達が花火を上げる音が時々大砲のように響くお祭りモードの時なのに、朝から塾に通う中学生がオランダにもいる――私はちょっとしたショックを受けてしまった。

塾コストは将来への投資

「塾」といっても日本のとはちょっと違って、少人数で学校の宿題や勉強を指導してもらえる教室のようなところだ。オランダでは「Huiswerkbegeleiding(宿題サポート)」と言われている。Iくんは週3日、街中の教室に通っていて、静かな部屋で数人の学生がそれぞれの学校の宿題や課題に取り組んでいる。そして、質問があるときには別の個室で、先生からマンツーマンで指導を受けることができるらしいのだ。

「Huiswerkbegeleiding」のほかには「Bijles(個人指導)」「Examentraining(テストトレーニング)」と呼ばれるものもあって、こちらは教室に通うものや、家に来て家庭教師のような形で教えてもらえるものもある。家庭教師は1時間50ユーロ(6200円)ぐらい、宿題サポートも1カ月の月謝が400~600ユーロ(5万~7万5000円)と、かなり値が張る。

 オランダの統計局(CBS)によれば、この宿題サポートと個人指導に家計から費やされた支出は、1995~2015年の間に大幅に増加し、2900万ユーロ(36億円)から1億8900万ユーロ(237億円)になったという。2019年に行われた別の調査によれば、中学・高校では3人に1人、小学校のグループ8(日本の小学6年生)では4人に1人がこうした学校以外の学習サポートを受けているという。

 当然、子供を塾に通わせるのは、経済的に余裕のある家庭でなければできないことで、経済格差が教育格差につながるとの批判も聞かれる。個人の能力や指向を重視したオランダの教育は、模範的なモデルとして語られることも多いが、テストの成績や学歴を重視する傾向は、ここにもやっぱりある。

 Iくんのお母さんとメッセージをやり取りしている中で、彼女は言った。

「将来を楽しくするためには今勉強することが必要、ということを彼らに納得させるのは難しいわよね……」

職業コースよりも大学コース、文系よりも理系

 オランダでは小学校最終学年で「Cito」と呼ばれる全国共通テストを受け、この点数と普段の学習態度から中学校以降の進路が「大学進学コース」と「職業訓練コース」に分けられるシステムになっている(これについては、過去記事参照)。このため、この「Cito」で子供に何とか大学進学コースに行ける点数を取ってほしいと躍起になる親も多く、小学生からBijles(個人指導)に通う子も結構いる。

 何とか大学進学コースに通えたとしても、成績が悪ければ職業訓練コースに「転落する」可能性があるため、大学進学コースにい続けるために塾に通う子もたくさんいる。

 さらに、大学進学コースでも、15歳ぐらいで「理系コース」か「文系コース」かを選ぶことになっており、日本の高校生と同様、数学の内容が大きく違ってくる。このうち特に「Natuur & Techniek(自然とテクノロジー:N&T)」系が将来の選択の幅を広げるとして人気で、ここに入るために塾で数学や物理を強化したい学生や親が多いのだ。「N&T」の数学を取っておけば、後で文系に転向したい時も簡単だが、逆は難しいというのがその人気の背景にある。もちろん、IT系の仕事の需要が高い現在、将来の仕事に困らない「安全な選択」とも思われている。

進路の選択は人生の選択?

 新聞の投書欄では毎日のように教育議論が繰り広げられている。

「12歳で進路を分けるのは早すぎではないか?」

「大学卒とガテン系で年収が大きく違ってくることを考えると、すべての親は子供たちにVWO(研究大学コース)に行かせたいと思うのではないか?」

「無理をして大学進学コースに行っても、後でそのツケがくる。子供の能力を正直に見極めるべきじゃないか?」

『Volkskrant』で掲載されていた、ある14歳の少女の投書は興味深かった。

「今、私は人生の大事な岐路に立っています。ここで間違った選択をしてしまうと、元に戻る道はありません。これは私のキャリアの基本であり、社会への2番目のステップとなります(注:おそらく1番目のステップはCitoテストと中学校選び)。これは私の進む方向を決めるのです。これは求職の始まりでもあります。“自然とテクノロジー”に行くか、“芸術”の方に行くか?

もちろん、私は高校のカリキュラムについて話しているのです。毎年毎年、新しい世代がこの選択をしなくてはなりません。でも、どうすれば自分が良い選択をしていると分かるのでしょうか?将来の職のために安全な道を選べばいいのでしょうか?自分がどんな人生を送りたいか、何をしたいか分からない場合、どうすればいいのでしょうか?

中には自分が何がほしいのか、明確に分かっている人もいます。大きな家、多額の収入、家族……でも、何を欲しているか分からないことすら分からない場合は?決して実現しないような夢を抱いてしまうかもしれないし、もし何をしたいか知っていても、自分が選択した課目がそれに適していなかったら?

14歳でこんなに重い選択をしなくちゃならないのは辛いです。まるで今から将来の選択をしなくちゃならないみたい。でも、自分の将来がないように感じてしまったらどうすればいいのでしょうか?ちょっと立ち止まって、ゆっくり考える時間がほしいです。でも、今は決めなくちゃならない時です。自分が良い選択をすることを望みます。」

寄り道も人生

 将来何をすればいいか分からないのに、人生の早い段階で進路を選んでいかなければならないオランダの子供たち。この苦悩は親も同様に感じていて、だからこそ、「とりあえずはいちばん難しい理系の大学進学コースを選んでおけば、将来の選択肢が増える」という考えにたどり着く。

 しかし、『Volkskrant』で紹介されていたユリアさん(29歳)は、VWO(研究大学コース)から滑り落ちないよう、成績を平均以上に保つために送った「Bijles漬け」の日々を振り返る。「今振り返ると、すべてのストレスや不安なしに、HAVO(職業大学コース)に行っていればよかったと思います。だから、私は友達にも勧めます。社会が『良い』と思うことではなくて、自分が本当に楽しいと感じることをやりなさい、と。」

 ユリアさんは結局、研究大学コースの卒業証書を得られず、高校をドロップアウトするような形になってしまった。しかし、その後は以前から興味を持っていた金細工を学ぶ学校に行き、現在は金細工師として仕事を楽しんでいる。

 年明けにうちに遊びに来たラルフの話も印象的だった。ラルフは腕のいい立派な歯医者であるばかりでなく、趣味のドキュメンタリー製作やランプのデザインもプロ級の腕前で、教養があって優しく、人生のお手本にしたいような要素がたくさん入っている人物なのだ。

 うちの息子の成績が悪いことや、フリーランニングに夢中になっていることを話して、「将来が危ぶまれるよ」と漏らしたところ、彼は自分のキャリア変遷を語ってくれた。

 彼はベルギーの厳しい寄宿学校に入れられていたらしいのだが、高校でそれを中退。親からも見放され、「もう勝手にしろ!」と言われて、16歳からは電気配線の会社などで単純な仕事を点々としていたという。しかし、それを数年続けた後はだんだんつまらなくなって、たまたま仕事現場で見かけた歯医者の仕事に興味を持つようになった。そして、仕事を辞めてアメリカを旅した時、そこに住んでいる叔父から「やってみなよ!何歳からでも遅くないよ!」と言われて、オランダでもう一度、高校からやり直すことに決めた。彼が高校(研究大学コース)の卒業証書を手にしたのは22歳の時だった。

「それでも、ぜんぜん遅くないんじゃないかな」

 彼によれば、高校を中退して電気配線の仕事をしたこともかけがいのない経験だ。その時に両親から見放されていたことも、「自分を自由にしてくれた」という。それでも、アメリカの叔父の後押しは彼に大きな影響を与えた。「どんな人に影響を受けるかも、人生を大きく左右するよね」

 今のオランダの教育システムが人生の早い時期に進路を決めていかなければならないものだから、親はどうしても13~14歳の子どもに人生を任せられない気分になってしまう。それに、子供がどんな人に出会うかが人生を左右するとすれば、優秀な人が集まる環境に子供を置いてやりたくなるのも人情だ。どこまで親が介入・サポートするべきなのか、すごく悩むところだが、それでも実際の人生を歩んでいくのは本人なのだ。

「人生転んでも寄り道してもいい。とりあえずはケガをしないでくれ」

 「不惑」を通り越し、「知命」に突入したというのに人生を迷い続けている母親は、こういう結論に達するのだった。

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