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「菜食主義」と「草刈り」で”生命”を考える。

私の会社があるアメリカ・カリフォルニア州は、急速に「ヴィーガニズム(菜食思想)」が拡大していて、環境保全のため、または動物愛護のために肉を一切食べない本格的な思考の人が増えているように思う。

そのトレンドを加速させている1つがスーパーマーケットの存在であって、ある種、高所得アッパー層を中心とし描かれる超COOLなブランディングも相まって、失礼ながら庶民的なウォルマートとは一線を画すようなオシャレスポットとして、アッパーからミドル層へと、さらに裾野を広げているように思う。

さてタイトルの「草刈り」。この2021年に私が行った、凄まじくも労力のかかる作業のことである。

都会に30年も住んでいるため田舎暮らしの何たるかをわからず舐めて育った私が、この夏、どっぷりと田舎の洗礼を受けた1つが「草刈り」である。

春先から梅雨、真夏〜初秋まで、今年は3回の草刈りを行ったのだが、小さい敷地ならともかく、そこそこの広さがある場合、草刈りはおそろしい労力である。理由は、その植物の生命力が凄まじく強いためである。

動物のように鳴いたり吠えたりすることがないため、沈黙の生物であるその実は、人間や動物とは違う表現方法によって、威嚇し自分を守り種子をばら撒き拡散し、絶滅を避ける。

これもまた動物と同じく地球上の我らと同種の生き物である。

さてタイトルを締め括ると、ヴィーガニズムの精神はよく理解ができる。

一方、では植物を食べるのはどうか。

これも同じく、私が思うに「殺生」である。

日本は豊かな”水”の恩恵をうけ肥沃な土壌のもとに農業が行えるため潤沢に野菜、果物をいただくことができる。植物も雑草もまた、この大地の中で役割を持って存在している。

あくまで個人的な意見に過ぎないが、日本が古くから守り受け継いできた「いただきます」はすなわち、生命をいただきます、となる。

それは動物でも、植物でも、変わらず「生命」なのであって、鳴いたり吠えたり甘えたりする動物だけが「殺生」ではなく、「植物」もまた、然り、との話である。

弱肉強食。

食物連鎖。

ヒトはあくまでサイクルの1つなのであって、「いただきます」の精神は、あくまで尊く、欧米などともまた違う、価値観もまた重要な事実である。

欧米主導の価値観が全てではない。そのローカル概念を、世界に伝えることもまた、重要な私の、及び弊社のミッションである。

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