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なぜ僕がこうなったのかについての2、3の理由(27)

  深夜番組を次々と垂れ流すテレビをつけっぱなしにしながら、酒を少しずつやりながら、さっきから同じことばかりを考えている。たとえば実家へ帰ったとしたらどうだろう。だが今の僕には、田舎でどう生活すればいいのか、まったくわからない。というか想像したくないのだ。夢想したいのは、東京で、自分の部屋に住み、好きな遊びをすることだ。好きな遊びって何だよ、上京する日にしたものと似た自問だなと思うと、くくっ、と笑いがこみ上げてきた。進歩してねえんだな、と思った。でも今では、遊んでも遊んでも、満たされないシワみたいな溝が心のどこかにあるのだと知った。部屋にひとつしかないローテーブルにはウイスキーの瓶と氷の入ったボウル、ロックにしてある背の低いグラスが並んでいる。もう一杯作り直した。いか天の残りかすと特大のアポロチョコが紙皿の上に無造作に打ちやられている。それを平らげる気にもならない。
 

   今日あたり、この文章を完成させたい。
 目の前のディスプレイに映し出される文章を何度も何度も読みかえした。それこそ穴の開くくらい。それから1行書き加える。また最初から読む。次は2行を書き加える。また読みかえす。キーを打つ指が次に打たれるべき文字を待っている。読みかえし、書き加え、書きつづける。
 僕に希望はあるのかどうか。
「遊んでも遊んでも、満たされないシワみたいな溝が心のどこかにあると気づいた僕に、希望をもつことができるんだろうか。上京する前の日のように、再び、希望に胸踊る時を味わうことができるんだろうか。今朝読んだ新聞記事に、希望のない人間は仕事にも学業にも就こうとしないと書いてあった。しかしこの説明も僕にとっては物足りない。いぜん、わからないのである。なぜ、僕はやるべきことをやれないのか。僕に希望がないからなのだろうか。でも、仕事に就く人にかならず希望があるわけではなく、希望のある人がすべて仕事についているわけでもないだろう。僕は、仕事に就くことと、希望のあるなしは別物であると、ぼんやり感じている。・・・・・・」

矢萩講師の課した規定の枚数を、一応書き終えた。タイトルは『創作#1』。これさえ提出すれば、少なくとも単位を落とすことはない。思ったほどの感慨はない。

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