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なぜ僕がこうなったのかについての2、3の理由(24)

  Pは深夜近くに、終電で帰っていった。僕はクロゼットの奥底にあったジーンズを引っぱり出し、上着も貸してやった。池で濡らしたスーツはさすがに着られる状態じゃなかったし、今のPにこんなに悲しい物語の染みついた服を着せるわけにはいかなかった。
 やっぱり、1年後の自分に対面したような気分は拭いきれなかった。僕はPが帰ってからウイスキーで飲みなおし、ベッドに入った。寝られるわけはない。全然関係ないじゃんと思いつつ矢萩講師の顔を思い浮かべた。そういえば明日、講義がある。課題をどうしよう。いつかは提出しなくちゃならないのだ。それから、BBのことを考えた。リップグロスがたっぷりついたふくよかな唇、光る口にくっついたレモンパイのくず。Pがまるでレモンパイのくずみたいに思えた。ああいう取るに足らないもの。僕もそれと同じ種類の人間なのかと思うと、いてもたってもいられなくなった。Pはこれから復活するのだろうか。いや、してくれなければ困る。だれだって、今日みたいな醜態を演じるときはあるじゃないか。僕だって復活する。そのうちに。いつの間にか目を開けていた。そうだ、そのうちに。1年半前に始まった逃走を、このまま終わらせるわけにはいかない。
 

  去年の3月に山梨の実家を出て上京する日、母と兄は駅まで見送りに来た。ピーカンに晴れた春の日だった。兄の運転する車の中で3人とも、昨夜回されてきた回覧板にあった町内会役員選挙の話題だの、今朝の朝食の漬物が漬かりすぎてしょっぱかっただの、今月は誰の家で結婚式があるだのと、まるで普段と変わらない会話ばかりしていた。帰り道にも僕が乗っていて当然というような。でもそんな空気も駅に着くまでのことだった。駅に到着して駅長さんにあいさつし、改札をくぐって振り返ると、母のまゆ尻が八の字に下がってしまっている。永遠に別れるんじゃないんだから、と言って今にも泣きそうな情けない顔つきの母からは、目をそらすしかなかった。テレビドラマの見すぎだ、と密かに兄と笑い合ったが、ぽつんとひとり残された母の立ち姿は、泣いていなくても泣いているのと同じに見えた。

  母は僕が改札を通るとき、いつのまにか手元に用意していた弁当と緑茶とチョコレートを渡してきた。あとで電車で食べてと言われたので、発車してから30分ほどたってからつつみを開くと、弁当のほかに、うすっぺらい茶封筒を見つけた。中には3000円の現金が入っていた。どの札もしわしわだったのをよく覚えている。封筒の裏には、好きなことに使ってね、と母の筆跡で書き添えられていた。好きなことって何だよ?まずはそう思った。それからやるせなくなった。

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