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なぜ僕がこうなったのかについての2、3の理由(17)

 何だって、このゼミに入らなきゃならないんだ、そう腹を立てても始まらないし、もう決まったことである。いさぎよく腹をくくり、2年間のゼミ生活を実のあるものにしていこうと方向転換したほうがよほど建設的だ。教室には希望したかしないかにかかわらずこれからの2年間をともにするゼミ生予備軍が集まっている。就職率がいいだの、課題提出が楽だのという人気の集まるゼミに僕はことごとく応募し、ことごとく抽選もれした。結果として今この教室にいる。Mがとなりにいる。救いは彼のみである。Mは就職や課題の楽さなどの惹句には興味を示さず、純粋にこのゼミの掲げるテーマ研究を希望し、めでたく入室のはこびとなったのである。
 

 ガラリと戸をあけて矢萩講師が入ってきた。髪はくしゃくしゃで細い黒縁のメガネをかけ、中背で腹が少し出た中年男である。服装はいつもチノパンにポロシャツか何かという砕けたもので、今日もそうだった。語学用の狭い教室には10人ほどの男女とりまぜた学生がまばらに座っている。雑談が止み、静けさと視線が先生に集中する。まずは自己紹介といきましょうか、と先生は自分の生い立ちから、この大学へ来て教えるようになるまでを手短に話した。普段の授業ではろくに先生の話を聞いていないもんだから、僕は初めてこの人の話がわかりやすく、簡潔に要点を伝えるものだと気がついた。彼に少し興味を持った。
 「こんどはあなたたちの番だ。はじに座ってる人からどうぞ」

 窓際に座ったA組の横井さんから始まった。彼女は創作演習の授業でもいつも最前列に陣取って熱心に授業を受けている。自己紹介というのは自分を他人にどう思われたいかを方向づけるものでもある。彼女は自分を「お嬢様」と表現した。いわゆる有名私立女子校からこの大学に推薦入学で入り、受験勉強を知らず、世間を知らず、文学ばかりに親しんできた自分なので、よろしくご鞭撻のほどを、と結んだ。急に豪快な笑いが教室に鳴り響き、先生はこちらこそよろしく、と返した。けっして彼女を傷つけるたぐいの笑いではなかった。先生がこんなバカ笑いをするとは、ここにいるほぼ全員がそんな表情だった。一気に場が和んだ。ゼミの初顔合わせにはちょうどいい雰囲気だ。

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