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なぜ僕がこうなったのかについての2、3の理由(26)

   ついにBBからの電話にも出なくなった。他の誰かの電話にももちろん出ない。考えごとをしているときにビービー鳴らされるのがむかつくのだ。虹を見たドライブから3週間くらいたったのだろうか。ドライブは最高だった。だけれども今は電話に出られないのだ。僕が電話に出なくなった今も、BBはけなげにメールをよこしてくる。初めは絵文字とギャル文字が多くて読める代物ではなかった。

 お前の頭ん中どうなってんだよ、と返信したくなるが、ギャル文字を解読するのに時間がかかりすぎる、と返したら、ギャル文字はおさまった。だが絵文字の多さは相変わらずだ。バイトが長引いて電車がなくなったとか、店長に尻さわられたとか、僕にあんまり関係ない内容が多い。しだいにそういうBBの話に関心をもてなくなってきた。とても遠いところにあることのように感じられるのだ。それこそ、アメリカへMBAを取りに行くことなんかと同じくらいに。僕は僕で大変なのだ。何かを変えないといけない、それだけははっきりとわかる。でも、その次に何をしたらいいのか、まったくわからないのだ。最近、悩みが増えて増えてしかたがない。

  しかたがないから、とりあえず大学の授業を真面目に受けることにした。なぜそうしようと思ったのかわからない。出歩いて飲みにいくことも少なくなった。なぜかそんな気になれないのだ。授業を真面目に受け、まっすぐに帰宅して、何かが動き出すのを待つように、自分の部屋に居座りつづける。ときどき、パソコンを開いて課題のつづきをやってみたりする。しかし酒をのみながら。テレビを見ながら。
 

 上京した日を思い出すと、あの日の自分がとても愚かだったと恥じ入ってしまう。その日から始まった日々の積み重ねが、今の自分である。早朝までテレビをつけて脱力する自分である。たぶん僕は、田舎にいたころは、運がよかったのだろうと思う。実家を離れ、大学に行けばすべてそこに答えがあると不用意に思っていた。実際は、答えどころか問われるばかりだ。で、お前はどうする?という問いばかり。
課題のために書きためた文章を、第一行目から、目で追う。
  「この大学に入って、いろんな人を見た。そして僕は自分がどんな立ち位置にいる人間かが飲みこめた。他のどこかに立とうとするのは、無理がある。自分で、できることとできないことの区別くらいはできる。競争なんてまっぴらだ。するだけ無駄ってもんだ。だから僕はPたちと遊び、楽しんだ。せりあって勝ち負けに傷つくくらいなら、楽しんでいることが本当の勝利だと思ったからだ。だが楽しむことにも、もう飽きてしまったみたいだ。飽きたとたんに、目の前に現実というものが迫ってきた。どう振舞えばいいのか、皆目不明である。」
 

 矢萩さんならこういうだろう。何をやってるんだ?甘えるんじゃねえ。早くやるべきことをやれ。課題を出すのがお前には先決だ。その先には就職活動がある。いい成績を提出したいだろう?それなら課題を出せ。ゼミにも真面目に出席しろ、と。
  音を消したテレビの画面を横目に見ながら、つづきを読む。
「確かにそうだ。当たり前の話だ。やるべきことは目の前にたくさんある。それをこなしていけば、そこそこの人生が送れる。人並みといわれている生活が保証されているように見える。だけど、それができない。僕はなぜ自分ができないのか、それがわからないでいる。」
知りたいのは、僕に希望はあるのかどうか。

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