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新宿L/R ~和雪の場合(3)

 開演時間ぎりぎりになってウタイの前座をつとめるというDJが到着した。今夜は3人の前座を予定しており、ひとりは和雪のなじみのDJであとのふたりはその友達だという。バーカウンターの前でひととおり挨拶を交わしたあと、世間話をし、プレイする時間だけ厳守だと伝えて簡単な打ち合わせを終え、和雪がカウンターの中へ入り、飲み物の点検をしているときだった。前座DJのうちの一人が声を無理に低く抑えて話しかけてきた。
「なあ、ここってさあ、まわしてるやつ全員やってんだろ。あれ。おれはやってないけどさあ。どうやって検査かわしてんの?最近うるせえじゃん、警察関係が。取り締まり系が。ウタイなんてもうやべえだろ。そりゃあそうじゃないことを願うけどさ、目つけられてるよ、絶対。あぶねえから気をつけたほうがいいよ」

 こいつがあれをやってるとしたらこの店の敷居をまたがせるわけにはいかない。即座にボディガードの黒人を呼びつけて身体検査の開始だ。結果何も出なかったが、こいつはもう今夜限りで付き合いをやめたほうがいいかもしれない、そう思っていると前座DJはぱんぱんに張った尻ポケットからパスケースみたいなものを落とした。和雪がすばやく拾って開いてみると、どこかで見た気がするような顔写真の入った運転免許証が入っていた。苗字は「魚崎」と書いてある。間違いない。この名前を忘れるはずがない。サッカー部に所属していたのは何年前だったか。高校時代だからもう7年も前になる。和雪にとっては思い出多き時代であり、魚崎は中でも忘れられない存在だった。

 「なんだってこんなことするの?もういやになるなあまったく」
 最初の来店時には全員やることになってるんです、と魚崎に嘘をついたが、高校時代の魚崎の嘘つきっぷりはそれこそすごいものだった。高校時代の汗のほとんどを流したサッカー部の引退試合に欠席したのを筆頭に、それらの嘘はみんなを振り回し、結果としてみんなの結束を高めるのに一役買ったくらいだ。魚崎批判は卒業間近になってあっという間にひろがり、水面下でくすぶっていた批判のポテンシャルの高さに和雪は驚いたほどだった。なんといっても女子マネージャーをめぐる問題ではその身勝手さとそれを隠し通そうとする意地汚さと、愚かしいまでの意固地さが明るみに出たときには、和雪も身ぶるいをおぼえたものだった。
 

 母校の名前を出すことに多少の気後れはしたが、結局、和雪から話をした。口を閉ざしたままでいるに耐えられるほどには、サッカー部の思い出は和雪にとって軽いものではなかったからだ。
「ふーん。そうだよ。名前おぼえてるよ、一年後輩の北風和雪ね。お前、そんな顔だったっけ?」
 多少めんくらった。名前を忘れずにいてくれたのはうれしいが同時に顔を忘れるのは珍しいのではないかと和雪は思ったからだ。逆パターンならある気がするが、顔を忘れるとは。というか名前も実は忘れているのだが店の店長だという理由で話を合わせて来てるだけかもしれない。魚崎は遠くの天井を見ながらサッカー部の思い出をちょぼり、ちょぼりと語り始め、和雪との話題の共有を試みている。和雪にしてみれば魚崎を憎んでいるわけではないし、高校時代の狼藉っぷりが未だに許せないなんてことは、毛頭ない。だが体の芯のほうから、この男には深入りしないほうがいいという警告みたいなものというか、ほとんど生理学的な拒否反応のようなものが発せられているような気がしてならなかった。
 「それで、この店何年になるの?ま、いろんな奴来ると思うけどさ、ま、やっぱ君の好みでアーティスト選んでるのかな」
 和雪にそう聞いてくる魚崎の声は気持ち上ずり、言った後にえへんと咳払いをして間を保つという話法だった。その話し方に否定しがたい隙を和雪は発見し、魚崎にとってはいわれのないむかつきを、和雪にもたらしてしまったのだった。
 「僕には選ぶ権利はありません。だって、やとわれ店長ですから。じゃあ後ほどよろしく頼みます」
 それだけのことを1,2秒のうちに魚崎に言い渡し、会話を打ち切ってカウンターの中へ和雪は逃げた。メインフロアを見ると鬼塚がちんたらと遅いテンポで床モップをやっているのが目に入った。どいつもこいつも。ちゃんとしろ。和雪は無駄に消耗した気がして軽いめまいがしたが、グラスの並んでいる棚を見回し、昨日会った須坂との会話を思い出した。じれっとした感覚でうれしくなれる。待ち焦がれていたボーナス査定結果である。歌舞伎町コマ劇場裏の喫茶店で聞いたところによると、結果は非常に良好、ハイ‐パフォーマンスである、とのことだった。

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