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物語「みかんの終わりには」投稿

夫婦の短い物語「みかんの終わりには」を投稿しました。
よかったら読んでくださいね。

「みかんの終わりには」


そのとき、夕ご飯を食べ終わって一時間くらいたっていて、わたしと夫は居間のこたつで向かい合わせに座って、テレビをなんとなく見たり見なかったりしながらみかんをぱくぱく食べていた。
夫は一個をゆっくり、わたしはその間にひとつと半分食べていた。
一個目は甘酸っぱく、二個目はかなり甘かった。

夫は、きちんと薄皮を剥いてゆっくりと食べていた。そして、
「酸っぱいなあ」
と、ときどき顔をしかめていた。
「食べてあげようか?」
と、わたしが訊くと、
「いやいいよ。俺のものは俺のものなのだ」
と、首をふった。
「ジャイアンか」
わたしはそう言って、自分の一房、薄皮ごと口に放り込んだ。
夫は笑って、そのあとでテレビの画面に視線をやった。
テレビでは歌番組をやっていてた。
ちょうど数人の女性グループが踊って歌っていた。ピッタリと揃ったよく練習されたダンスだった。
「笑顔可愛いなあ」
と、彼が言う。
「確かに可愛いね」
とわたしはうなずいた。
「元気がこちらに迫ってくる感じ」
と、夫が言った。
「なるほど、確かに。若いっていいねえ」
わたしはもう一房、口にほうりこむ。
すると、彼はわたしに向かって
「よし、僕が可愛い笑顔を見せるよ」
と言うと、にかっと笑った。
「おお」
わたしは思わず声を出した。
夫の目や口よりも、ずいぶん面積が増えた額が勢いよくこちらに迫ってくる気がしたが、それがとても愛おしく感じられてしまった。

まったく、わたしたちこんなに長く一緒にいたわけね。

夫の笑顔でこんなに幸せな気持ちになったので、今日の昼間に一般社会で出会った数々の嫌なことも忘れられる、の、かなあ、と自分の心を振り返ったが、そんなことは全くなく、嫌なことは嫌なままだった。

ま、それは仕方ないな。

しかし、たとえば、わたしの嫌なことがとてつもなく大きくやっかいな嫌なことになったら、「わたしたち」はちゃんと解決できるかと考える。
わたしたち、今までいろいろな嫌なことを解決してきたかというと、そうでないこともあったよなと思う。解決ではなく、ただ通過してしまっただけということもあったよな。

ま、それも仕方ないよな。まだふたりが一緒に存在していることをラッキーだと思った方が良いよな。

今まで何度か危ないことをふたりで経験して、通過してきた。これから何かあるとしても、ふたりで通過していくしかないのだ。

そこまで考えた頭にお疲れ様と声をかけ、わたしも彼に向かってにかっと笑って歯を見せる。

わたしのほうも結婚当時から比べるといろいろと変化している。たとえばこの歯、歯を一本失って人工の歯になっているのだ。そして、いまもひびが入り、寿命が近づいている歯が存在している。

何かを通過するたびに、わたしも彼も、自分の一部を落っことしていくのだ。髪だったり、歯だったり。
しかし、最後に残ったものが、たとえ最初のわたしたちとは百万メートルかけ離れた形をしていても、わたしたちはそれらを「わたしたち」だと、ちゃんと判別できるはずだ。

「いい笑顔だね」
と、夫が言った。わたしというか、わたしの歯を見ているようにも感じたが、まあ、良いだろう。

わたしはみかんの最後の一房を食べた。甘さのほんとうの最後に、酸っぱさが歯の根っこに突撃し、そして消えた。

さよならみかん、ありがとみかん。

「そっちこそ、すごい、素晴らしい笑顔でございましたよ」
と、わたしは夫に言った。
彼は、
「えへへ」
と言うと、こたつをぬっと出て立ち上がった。そして、
「ほうじ茶飲みたくなった」
「あ、わたしも熱いやつ飲みたい」
と、わたしは言う。

「ぐいっといきますか」
と夫が聞いた。
「いきますか」
と、わたしが答える。

そして、彼は食器棚をばたんと開けた。

*****終わり*****

読んでくださってありがとうございました。

今日のカバー絵はこんな感じです。

Mandarin orange

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「この話の絵だし、みかんを描くか」、と思ったところまではよかったのですが、途中から「冬といえばみかんだよな、しかしこの冬は寒いよな、寒いよな、寒すぎるよな、早くあったかく、むしろ暑く、暑くなれアツくなれ熱くなれ大黒摩季!」とかなんとか思いながら描いていたので、いつのまにか南国風味になっていった…気がします。

今週はまたもや何度目だ寒波、という強い寒波が来るようですが、この寒波が終わると気温が高くなる、と天気予報では言ってました。
最後?冬終わる?ついに?

*ただいま時間の余裕がなかなかなくて、皆さんのnoteをなかなか読みにいけない状態です。少しずつ読んでいきますので今後ともよろしくお願いします。