海外営業マンが語る神道のロマン 第三回 八百万(やおよろず)の神
背が高い(だけでなく体格もいい)私。さらにパツキンで社会人としてはどうよ、ってカッコで毎日仕事をしているものですから、純粋な日本人には見られないことが多いのですが…日本人なんだなぁ。笑。さて、今日も書いていきます。
「一神教」という言葉を聞いたことがありますよね。世界で語られる多くの宗教では「神」という存在は唯一無二の絶対的なものであり、その神が良しとするものに従わなくてはなりません。戒律がかなり厳しいですよね。また、「多神教」という宗教もあります。古代ギリシャ、エジプトなどで信仰された古い宗教ですね。
神道ではどうでしょうか。多神教どころか…神様がいっぱいいるんです。笑。森羅万象のものや事柄に神様が宿ってるって考え方です。だから、山、川、海、畑、そして台所やトイレにも!そしてえんぴつや消しゴムにもいらっしゃるんですかね。
見えるもの、見えないもの、人だったりモノだったり...八百万(やおよろず)とはそういうこと、あらゆるものに神が宿ってるってことなんでしょうね。でも、その考え方ってステキだと思いません?モノを大切にしたいとか「もったいない」って気持ちってココから来てるのかな?「もったいない」はもう世界で通じる言葉になっています。
ちなみに、その宿ってると言われる神様自体は見えないので、神社にはその神(祭神といいます)が宿っているとされるもの=御神体(ごしんたい)が祀られています。この御神体は神社によって違います。祭神と御神体についても次回以降で書こうと思っています。
話を戻して、八百万の神ですが…結構雑な話に聞こえますが、これこそが日本人の心なのかもしれません。こんな大雑把(失礼しました)というかふんわりした捉え方でモラルを維持しているのですから、私としては戒律の厳しい「宗教」ととらえることはしていません。そう、「モラル」「道徳」なのです。きっとそれがこの国の秩序を作ってきたと考えています。
後に書こうと思っていますが、古事記に出てくる方々(のちに神様になる方々)はとてもお茶目で、ある意味「神」と呼ぶにはあまりに人間臭い。笑。とても「人格者」とは思えないことやったり言ったりして。爆。そこがとても魅力的であったりもするんですがね。
そんなデコボコな個性の方々が神様になって、力を合わせて作ってくれたのが今の日本って国なんでしょうね。それぞれがパーフェクトな存在ではないところがとてもステキ。
自分に足りないことを憂うよりも、他の人たちとそれぞれの得意分野で持ちつ持たれつ共存して前に進めていきましょうという発想。自分がパーフェクトではないことを知っている。神様でさえお茶目だったんだから!だからこそ日本人は「謙虚」なんでしょうね。
「謙虚」はいいんですが、粗い言い方をすれば、つまり...ゆる~いんです。私たち。笑。多くの日本人が「宗教」を受け入れない理由はきっと、神は絶対で、決められた戒律を守らなくてはならない!こうしてはいけない、ああしなきゃいけないってのが受け入れられないのかも。「空気を読む」ことが戒律で縛られなくても身についた結果なんでしょね。
おおっと、また書き続けるところだった。今日はこのくらいにしましょうかね。笑。