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中秋の名月

先週は中秋の名月だった。
日頃からよく月を見上げてはいるものの、「次回、中秋に満月が重なるのは7年後」などと言われると、特別感が増し増しになる。

この日、東京の下町で取材を終えると、商店街の古い和菓子屋には『月見団子』の紙が貼られ、長い行列ができていた。
現代でもみんなお団子を供えてお月見をするんだな、と感心した私はと言えば、大人になってからすっかりお団子を食べなくなっていたのだった。

子どもの頃は毎年やってくる、けっこうなイベントだった。
母は月見をとても好んだ。
今にして思えば、行事や風習を子どもに体験させようと思ったのかもしれない。
はたまた、母自身が娘時代にそうして育ったあたりまえの行事なのか、いや、戦中生まれの世代には、したくてもできなかっただろうか。

ともかく1970年代の中秋、小学生だった私は、ランドセルを置くやいなや、母の声で「お供えのススキを取ってきて」と命じられた。
いつもよりずいぶん早く仕事から帰っていて、びっくりした記憶がある。

言われなくても野原に飛び出して、石の下で鳴くコオロギを捕まえたり、松の木に登って手足をすり傷だらけにする毎日だったが、ミッションを与えられると小学生は俄然張り切る。
といっても、うちの裏手にはススキが繁々と生えていたので、母にしてみれば「裏に行って2、3本」くらいの軽い申しつけだったのだろうけど。

それでも今日は特別なお月様の日(らしい)という気配は小学生にもわかる。「お供えの」という響きも何やら大役めいている。
よし、いちばんカッコよくて大きいススキを取ろう。

鼻息は荒いが、しかし玄関に置かれた鋏(ハサミ)に気づかなかった。
ススキって、切れない。
こうなったら引っこ抜くしかない。でも抜けない。
格闘の末、案の定、勢い余って転ぶ私。ついてきたのに手伝いもしない弟は、汗だくの姉を見て笑い転げている。

それでも根と土つきの戦利品3本を持ち帰ると、母は言った。
「二人とも、ありがとう」

夜、小さな台にえんじ色の花瓶に活けられたススキを置き、母がいつの間にかこしらえていた白玉のお団子をお膳に載せて、3人で月を眺めた。
父は仕事で帰宅前、祖母はすでに眠ってしまったのだろうと思う。

ちなみに、この年以外のお月見は、いつもみたらし団子である。
母は行事を大切にするけれど、なぜか一部だけオリジナルに変換されることが多い。
たとえば、節分の豆まきは大豆でなく殻つきの落花生、とか。

急いで作ったわりにはお団子がおいしくできた、と母は、弟を膝にのせてゆらゆらしながら、親鳥のようにせっせとお団子を子どもたちの口へ運んだ。

よほど楽しかったのだろう、母は年をとってから何度もこの秋の夜の話をした。
手が届きそうなほど大きな月だったこと。
そして弟が「お月さん、こんばんは!」とお辞儀をしたらお膳におでこをぶつけて笑ったという、私にとってはまったくどうでもいい話。

それでも母が楽しそうならば、まあいいか、と思うのである。


秋田魁新報 2013.10.7 掲載

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