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クリスマスケーキ

クリスマスケーキを買わなくなって何年経つだろう。
最後に憶えているのは、たしか短大進学のために上京した年だ。ショートケーキを1台、自分のために買った。1カットじゃなくて、ホール丸ごと1台だ。

当時、女子大生ブームのモテ特権はまるで活かせず、4年制大学に編入したかった私は、勉強するかアルバイトか映画館にいるかの地味なひとり暮らし。
当然、ホームパーティなんて予定もないわけで、なのになぜホールかと言うと、アルバイト先がケーキ屋だったからだ。飛ぶように売れるイブと本番の2日間。それでも余ったケーキは破格値で買えたのである。

そうして丸ごとひとり占めという、誰もが一度は見るであろう夢が図らずも実現した。

六畳一間のちゃぶ台に、ふかふかの生クリームをまとった丸いものが載る。コントのように顔をうずめてみたい衝動は湧くけれど、もちろんそんなもったいないことはしない。

私がしたのは、スプーン一本ですくいながら食べるという所業である。
お行儀が悪いと嘆く祖母の声が聞こえそうだな、と思いながらも、やってみたかった、これやってみたかった!と喜びを噛み締めた。

誰にも分けなくていい、どこからすくってもいい、どれだけ食べてもいい。それは完全に自由な、解放された世界だ。

「ひとり」を全然寂しがることなくエンジョイする19歳は、逆に言えば、それまでひとりになったことがなかったのだ。祖母、両親、弟、下宿人もいたので、さほど広くない食卓はいつもギュウギュウに混み合っていた。

高校時代、お菓子作りに凝った私は、張り切ってクリスマスにケーキを焼き大失敗したことがある。
半分しか膨らまない、平べったくてねちっとした不気味なケーキ。どんなにデコレーションをがんばってもカバーしきれないうえ、肝心の味の方も生地が少々焦げ臭い。

気を遣った父と弟は「大丈夫、食べられる」と最後の一線を守り、母と祖母は「これはこれで個性的」と別方向に舵を切り、正直な下宿人はただ黙々と口に運ぶ。張本人は自分が原因なのにふてくされるという、お通夜のように沈んだクリスマス。

この年以外は、いつも母が買ってくれていた。
私が小さかった頃はバタークリームだったり、アイスケーキだったり。日本人の多くがまだフランス菓子を知らない時代の、昭和のケーキ。だけどケーキ屋の大きな箱から甘い香りが漏れて、子どもたちはわくわくして走り回った。

あるフランス菓子職人の実家は和菓子屋だが、町に1軒のお菓子屋だからと、ご近所のためにクリスマスだけケーキを焼いていたそうだ。
家の中はいつもあんこの匂いなのに、12月になるとクリームのおしゃれな香りに変わる。そのわくわくが、彼をケーキのほうに向かわせた。

〝家〟とは育む場所だと言った人がいる。
だとしたら、子どもにとってはわくわくを育む場所でもあるように思う。家族とともに育んだわくわくの根っこがしっかり張っていれば、家を出て、自分の道を歩いて行く時も倒れにくい。

ひとりじゃなかった人は、ひとりでも大丈夫。

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