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ボレロ初演の話。

先日、3月7日はモーリス・ラヴェル生誕146年でした。
ラヴェルと聞いて思い出す曲はそれぞれだと思うのですが、『ボレロ』は広く知られているの一曲ではないでしょうか。
(ヘッダーの薔薇の名は‥ボレロ、と言うつながりです)

初演は1928年11月22日。
不思議とあまり知られていないのですが、イダ・ルビンシュテインというダンサーが個人のリサイタル公演のために依頼し、初演された曲です。

イダはバレエ・リュスのダンサーとして活躍した人物で、長身で胸がないすらっとしたどこか少年を思わせるようなところのある大変な美人で、マルセル・プルースト、ガブリエル・ダヌンツィオらが熱狂的に支持したダンサーでした。

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ダヌンツィオは1911年にクロード・ドビュッシーと『聖セバスチャンの殉教』をイダのために手掛けています。

「聖セバスチャン」と言えば…の三島由紀夫が唯一の訳書として手掛けたのがダヌンツィオ『聖セバスチャンの殉教』です。後には自ら「セバスチャン」となった写真はあまりにも有名です。

話をイダに戻すと、イダはダンサーとしてのキャリアは大変遅かったのですが、その存在感と華やかさに魅了されたミハイル・フォーキンがバレエ・リュスのディアギレフに彼女を推薦したのが発端でした。
素人を踊らせることを嫌がったディアギレフでしたが、彼女を一目みて、これは!と思いマイム役として契約したのでした。

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『シェエラザード』のゾベイダ役は特に当たり役で、彼女がもっと踊りたい!とマイム役では飽き足らなくなってバレエ・リュスを離れた後もしばしば呼び戻しています。それがかなわなかった時、実現はしなかったものの、候補となったのが以前こちらでもご紹介した「女スパイ」としてあまりにも有名(でも実はスパイとしては大した仕事はしていない)なマタ・ハリでした。

イダはユダヤ人の大金持ちの娘だったので、自らのカンパニーを立ち上げることができましたし、ラヴェルにスペイン風の曲ということで依頼した結果出来上がってきたのが『ボレロ』でした。

依頼を受けたラヴェルは実はアイザック・アルベニス『イベリア』を用いた曲を考えていたのですが、版権処理に手間取り、納期が迫ってきたために作曲された曲なのです。
名曲が偶然から生まれることもある一例ですね。
(後にアルベニスの曲はバレエ・スエドワが『イベリア』としてバレエで初演しています。)

振付は最初はミハイル・フォーキンが手掛けますが、イダは納得しなかったらしく、程なくニジンスキーの妹で重要な女性振付家ブロニスラワ・ニジンスカに依頼し直しています。

いずれも丸テーブルがあり、スペイン風という点では一致していました。

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衣裳もこんなスペイン風のものでした。
1960年のモーリス・ベジャール振付たバージョンが今では一番良く知られていると思うのですが、ベジャールによって丸テーブルが登場したわけではなかったのです。

もちろん、ベジャールの振付は素晴らしくて、私にとってはジョルジュ・ドンと共にあり続ける振付ですけれど。





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