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綺麗な手、純粋な心

 学生時代、自分は純粋だと思っていたバカな私です。船が沈没してボートに乗れない人が出たら、私が代わります、みたいな答えを漠然と持っていた、世間知らずの大馬鹿ものでした。

 今ですか?タイタニックのローズが、凍死して重くなった恋人ジャックを海の底に振り落としたみたいに、生きることに必死にしがみつきます。禁止されている闇米を買ってでも生き延びて見せます。

 綺麗な手、羨ましいほど憧れます。紫外線を浴び、洗い物で洗剤にまみれ、仕事で酷使された荒れた手は、化粧で誤魔化せないから歳を上乗せして語ります。

 純粋な心も憧れます。世界は望めば叶う、宗教は世界を救うって、若い頃は信じてたけれど。ある宗教で良いお話を、自分を救ってくれる説法を聞けると思って行った会で「私は神である」と言った主宰に失望を覚えちゃった。。いやいや、そんなことじゃなく、良い話しを聞かせてくれよ。私を救ってくれよ、神様ならお見通しなんでしょう?

 今おもえば、自分を誰かに助けて貰おうと思ったのが大間違い。自分を救うのは自分だけ。そんな矜恃を持って頑張るからこそ、力を貸してくれる人も出てきたりするんだ。最初からおんぶに抱っこと言えるのは非力な子どもの特権なんだ。

 荒れた手は頑張って働いてきた印だし、不純になった心は、苦労をして生き延びてきた頑張った証。小説家とか詩人で胸に染みる話しを書く人は、壮絶な人生を送っている方が多いから。

 ーほんとの中に嘘をさがすな、嘘の中にほんとを探せー

 一時期良く読んでいた【銀色夏生】さんの詩にそんなニュアンスの詩があって、大好きな言葉だから忘れない。

 これからも私は泥水の中にズカズカと入っていくだろう。生きるために。その中で一輪の花が咲いたらみっけもん。咲かなくったって「生きてるだけでまるもうけ」(これ、さんまさんの言葉)。

 noteを去るある方に読んで欲しくて書きました。

 また、会えるよね。



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